あらゆる" 縁"を結ぶ『櫻井神社』
今日は福岡県糸島にあるステキな神社のお話です。
福岡旅の話が長引いております…。
黒田家縁の神社
切実に御縁が欲しい私たちはあらゆる縁を結ぶと有名な『櫻井神社』にやってきました。
櫻井神社創建の基は、慶長十五年(1610年)六月朔より二日の暁にかけて、大雷雨が起こり突如電光一閃のうちに岩戸神窟が開け、ご神霊が顕現しました。それから、様々な霊験あらたかなことが起こり、それを聞いた福岡藩二代目藩主黒田忠之公が家臣を二回遣わして問うと、その答えが寸分違わず御験(みしるし)があったので、益々ご神威に感謝して、寛永9年(1632年)に現在の豪華絢爛な社殿を創建しました。今もその当時の姿のままで、本殿・拝殿・楼門は福岡県の重要文化財に指定されているそうです。
石造りの鳥居をくぐり
太鼓橋を渡り
参道を歩くとなかなかの山の中ということもあり、神聖な雰囲気が漂ってきました。
神社って不思議と空気が違いますよね。
嵐のコンサートチケットも当たる!?『櫻井神社』
行った後で知ったのですが、こちら嵐の櫻井翔さんと同じ名前かつ縁結び・勝負運の神様ということで、嵐のコンサートの当選祈願をするファンが訪れる、『嵐神社』と呼ばれるものの1つで、嵐の聖地らしいです。
嵐のコンサートチケットといえばなかなか手に入らない、それこそ御縁に頼るしかないプレミアものですよね。
これは期待できそう…と、早速楼門をくぐり、拝殿でご挨拶。
拝殿のすぐ横にあったこちらでもお参り。
後で本物も二見ヶ浦に見に行きましたが、どちらもでお願いしておいた方が叶う気がしまして。笑
社務所で御朱印をお願いしてから、もう1つの神社へ向かいました。
清らかな幽玄の社『櫻井大神宮』
社務所の方に勧められるがままに、櫻井神社の楼門から一旦出て、向かいの櫻井大神宮に行ってみました。
鳥居の向こうに階段が…と既にお疲れ気味の友達に、そんなに段数ないよ~と言って上ってみたら、上った先にさらに階段がありました。
ごめん、友よ…。
櫻井大神宮の拝殿まで歩きながら、足元をよく見ていると、途中で石で作られた文字を発見!!
『初老』と書いてあります。
どういう意味があるのでしょう…?
誰がなぜこのような文字をここに残したのか、気になります。
もう少し歩くと、今度はハートマークが。
ほっこりしながら、ハートを踏まないように先へ進みます。
櫻井大神宮に到着。
最初の階段でヒーヒー言っていた友達も遅れてなんとかたどり着けました。
疲れていなければそんなに大変な場所ではないはず。笑
櫻井神社ご祭神の神託を受けた福岡藩二代目藩主の黒田忠之公が櫻井神社創建前の寛永二年(1625年)に岩戸神窟の西南の地、光寿山(こうじゅさん)へ神明造り茅葺の社殿を造営し、伊勢神宮の内宮・外宮の両宮の分霊を奉じさせ、鎮座していただいたことが始まりだそうです。
内宮・外宮を一宇に合祀したご本殿の千木は向かって右が水平切りで内宮(天照大御神)を現し、向かって左が垂直切りで外宮(豊受大御神)を現しているこのお宮独自の建築様式だとか。
最初は伊勢神宮の遷宮に倣って、宮地を2か所に定め、20年ごとに式年遷宮を執り行っていたけれど、第13回目にして止まり、現在の社殿は慶応二年(1866年)のもので、150年以上経っています。
拝殿側から。
この鳥居をくぐると、また空気が一段と澄んだ気がしました。
神聖な場所を身体が感じている…。
櫻井大神宮から櫻井神社へと戻り、お願いしていた御朱印をいただきまいた。
右が櫻井神社で左が櫻井大神宮。
こちらでは御朱印がセットのような感じなのか、よく聞かれる「どちらを書きますか?」というのもなく、当然のように2社とも書いていただけました。
むしろ有難い…。
糸島ラストスポットへ
櫻井神社をあとにして、糸島で訪れる最後の場所へと向かいます。
バス停への道すがら、色とりどりに染まった山がきれいでした。
バス停で待っていると…よく見たらここは橋の上だったらしいです。笑
道路と同化していて全く気づきませんでしたが、ちゃんと橋の名前と川の名前が書いてありました。
さて、糸島編は次回が最後のブログになりそうです。
もうしばしお付き合いください。