やっと今回の京都旅のメイン『京の夏の旅』で特別公開していた所の話を書きます。
昨日で全ての特別公開、終わってしまいましたね。今回のテーマが『新選組結成160年&世界遺産』で、ポスターやリーフレットにも新選組といえば・・・なだんだらの羽織がデザインされ、新選組好きには嬉しすぎる夏でした。
花街の名残 島原大門
特別公開されているところを目指して最初にやって来たのは島原大門でした。
新選組の面々もここを通って足繁く島原に通っていたのかと思うと、なんだかここを通れば幕末にタイムスリップ出来てしまうのではないかと思わせられる場所です。
まぁ、くぐってすぐの場所に現代的な建物や車などがいつも見えるので、ロマンもへったくれもないのですが、そこは得意の妄想で補います。笑
当時の女性にとっては決して楽しい場所ではなかったのかもしれませんが、本か何かで島原は江戸の吉原と違って一般の女性も入れる時があったとかなんとか。
一応書いておくと、ここ島原は太夫を初めとした芸妓さんのいる花街で、三味線などの楽器演奏や舞など、芸を売るところ。江戸の吉原は遊郭なので花魁をはじめとした遊女が色を売る場所。同じように見えて全然違うんですよね。
太夫は芸を売る芸妓さんの中でもトップだから、あらゆる事が一流で、学もあり、どんなお客さんとでも話を合わせられるくらい幅広い知識を持っているのだそうです。同じ女性としても憧れてしまいますよね。
置屋 輪違屋
開館とほぼ同時刻に輪違屋さんに到着しました。
今も太夫がいて、普段は営業をしているため、一見さんお断りということもあって私の様な一般人は入ることが叶わない所ですが、『京の夏の旅』パワーでこの期間だけは入れちゃいました。
現在はここでも宴会を出来るお部屋があるのですが、幕末当時は宴会会場となる揚屋さん(この近くに建物が残っている角屋さんとかですね)に芸妓さんを派遣する置屋業を営んでいたため、ここに新選組や志士たちが訪れたことはない・・・はず。
それと、これは知らなかったのですが、幕末の頃は『養花楼(ようかろう)』という名前で営業していたそうです。だから、近藤さんたちはここを『養花楼』として認識していたということで・・・もし歴史小説などで幕末に『輪違屋』と書かれていたら正確には間違いということになるみたいです。
入ってすぐの所の額で当時の名前を確認できました。
『輪違屋』という名前は、ここでもお客さんを呼んで宴会を開くようになる際、『養花楼』という名前はあまりよろしくないということで、ここのマークみたいなものをそのまま名前にしたそうです。
1階にあるこちらの座敷でボランティアさんのお話を聞きました。
畳に所々蝋燭の蝋が落ちていたのですが、それはここで太夫と初めてのお客さんが顔合わせのような儀式をするそうで、その時に垂れたものだそうです。
本当に現役で使われているんだなぁ、とドキドキ。
輪違屋のお庭に何故かマリア灯籠(キリシタン灯籠)がありました。
ぱっと見普通の灯籠のように見えますが、下の方を見ると実はマリアの姿が刻まれています。表だってキリスト教のお祈りが出来なかった時代に、カモフラージュされたマリア灯籠を拝んでひそやかに信仰を守っていた時のものだそうです。
ただ、何故ここにマリア灯籠があるのかはよく分からないそうです。
輪違屋の縁側、凄くないですか!?
普通、屋根を支えるために所々柱は立っているものなのですが・・・全くない!!
お庭を楽しむための工夫なのでしょうが、今でも屋根を支え続けているその技術が凄いですよね。
襖には書状が貼られていました。
これは、芸妓さんたちが馴染みのお客さんに書いた手紙の練習だそうです。
実際送っていないものでこの達筆・・・実際に送られた手紙はどんなものだったのか気になります。
私がここに来たかった理由の1つはこちら。
新選組 局長 近藤勇の書です。やっと本物が拝めました。
霊山歴史館でレプリカを見たり、本では何度も見た覚えがあるのですが・・・やっと!!
しかもそんな貴重な本物がガラスを隔ててではなく、低めの竹で作られた柵があるだけで目の前にあるって凄くないですか!?
ただ、近藤さんは先ほども書いたとおり、ここを訪れた事はないはずなので、何故かこれがここにあるのかは謎です。
超有名太夫 吉野太夫の書もありました。
「飛鳥川 淵は瀬となる 世なりとも 思ひそめてむ 人は忘れじ」と書かれているそうです。
恋の詩ですね。こちらも普通に床の間にかけられていました。完全に同じ空間にこんな貴重なものがあって良いのでしょうか!?とこちらが勝手に不安になるレベルで至近距離で見ることができました。
もちろん2階も見学OKでした。
ただ、写真は1階のみOKだったので、撮れたのはここまでです。
暖簾にも輪違屋の記号がついていて、可愛らしいですよね。
2階には太夫の控えの前と、それから写真ではよく見かける傘の間、紅葉の間がありました。傘の間のあの傘の柄は、本物の傘から剥がして使われているとか、紅葉の間は本物の紅葉を壁に埋め込んで型を取り、乾いてからそこに色を塗っているため葉脈まではっきり残っているとか、実物を見ないと分からないことだらけでした。
行って良かった。大満足です。
角屋と島原住吉神社
輪違屋を出て次の目的地へ(まぁ壬生なんですけど)へ向かうついでに少し寄り道。
唯一現存の揚屋建築の角屋さんです。
こちらも今回の京の夏の旅の特別公開に入っていたのですが、私が行ったときにはもう期間が終わっていました。
こちらは過去に何度か入ったことがあるので、その時のブログを1つリンク貼っておきます。
前回行ったの、こんなに前ではなかった気がするのですが・・・ブログを書いたり書かなかったり結構いい加減なのでこれしか見つけられませんでした。
別のブログで更新していた時のものを移したので、写真が小さいですが良ければこちらも見てみてください。
島原住吉神社にもご挨拶。
お祭りが近いのか、いつもはない幟旗が立っていて、近くの電柱などにもくくりつけている人がいました。
こちら側にも島原への出入り口の西門があったそうなのですが、今は見る影もなく石碑で説明があるのみです。
さて、次は特別公開している所が3つ並んでいる壬生へ向かいます。
実は数年前までは壬生に住んでいて、友達が島原の近くに住んでいたので、よく歩いた懐かしいルートです。(どちらも今は住んでいないから言えること。笑)
と、言うことで次回は壬生の特別公開のどれかを紹介します。