歴史好き女子の『おでかけ日和』

史跡や歴史的建造物、寺社仏閣をメインに旅している歴史好き系カメラ女子のブログです。はてなブログ2019.10.14~

【第3回】中山道を歩く⑤【瀬田唐橋〜草津宿】

今朝、車のフロントガラスが凍っていました。
とうとうそんな寒さに…。あまり雪が降らない地域に住んでいると、それだけで寒さを感じます。
 
 
さて、今日はここから。
『とうかいどう』の石碑と…
 
 
野路一里塚跡の石碑。
この日2つ目の一里塚です。つまり、前の石碑があった一里塚から4㎞くらい歩いたかな?
 
 
ここの一里塚は公園のようになっていました。
中山道を歩いているとたまに見かける東海道の絵も。
…そう、まだ東海道と同じ道を歩いています。
草津宿までは一緒の道なんですよね。
 
 
と、その草津宿の名前をちらほらと見るようになってきました。
こちらは脇本陣があったことを示す看板ですね。
 
 

瓢泉堂さんの元駐車場。

ここ、以前にお弁当のところでちらっとお話しした、うばが餅発祥のお店のものらしいですよ。
うばが餅って面白い名前ですよね。
由来は、昔武将が逃げ落ちて、いよいよ捕らえられそうになった時、子どもを乳母に預けて逃れさせました。その乳母が、子どもを立派に育てるためにここで『うばが餅』を作って売り始めたからだそうです。
モチーフは女性の象徴であるあれだそうです。2つ並んでいると分かりやすいですね。
中山道東海道沿いでもあり、見た目や名前の面白さもありで、話題を呼んで昔からのかなり人気のお土産だとか。
 
 
お店の前に建っていた矢橋道道標。
この辺りに矢倉城があったそうで、その遺跡も遺っているそうですが、どこにあったのか分からなかった…。
見逃してしまったかなぁ・・・。
 

 

宿場町を思わせる古い建物が並んでいました。

この辺りから、上に載せたみたいな木の看板が建物に付いていて、当時はなに屋さんだったとか、分かるところが増えてきた気がします。

 

 

この時期だから、家の壁にはサンタさんがいました。

ぱっと見、窓に忍び寄る泥棒のようでかなり怪しい・・・。
 

 

矢倉橋に到着。

昔の雰囲気を醸し出した橋でした。

レトロ~。
同じツアーに参加していた方々も必死で写真撮影していたので、誰かしら入ってしまっていました。
 

 

橋を渡るとすぐに草津宿の絵や、見附黒門跡(京方)の看板がありました。

 

草津宿は、私が歩いている京からだと東海道中山道が別れる宿場町ですが、江戸からだと逆に出会う宿場町なんですよね。

そのため、宿場の出入り口は江戸方・京方・中山道よりの3つあったそうでう。
宿場町の出入り口には見付と呼ばれる施設がありました。
見付って枡形がある城門の外側にある門で、見張りが通行人を監視していたという場所のイメージなのですが、ここでもそれで合ってるのかな。旅人を見張っていた関所のような場所とここでは勝手に認識しました。
草津宿には、その見付が東海道中山道の出入り口にそれぞれあったそうです。
一方で、この看板のある場所、京方の出入り口には、黒門が設置されていて、宿内と宿外を分ける施設として存在しました。
しかし、幕末に書かれた草津宿の役人の記録では、もともとは別の場所(6丁目と宮町の境)を流れる宮川に架けられた宮川橋の南側にあった見付の石垣の上に立っていたそうで、その石垣が壊れたので、この看板の場所に移築されたとのことです。
ただ、黒門の形、規模は記述として残っておらず、謎らしいです・・・。
 
 
何はともあれ、次のブログからいよいよ草津宿に入っていきます。
 
 

つづく