歴史好き女子めぐるの『おでかけ日和』

史跡や歴史的建造物、寺社仏閣をメインに旅している歴史好き系カメラ女子のブログです。はてなブログ2019.10.14~

【第3回】中山道を歩く④【瀬田唐橋〜草津宿】

今回の中山道旅、写真をとりあえず嵌め込んでブログ記事数が決まりました。
全7回予定なのでこの記事を合わせてあと4つです!!
思ったより余裕かもしれないと、油断していたらギリギリでわぁあああっと大慌てする羽目になるので頑張ります。
 
 
さて、前置きが長くなりました。
ブログが長くなる且つ更新が遅くなる原因ですね。改善しないと。
 
 
 
今日のブログはここから。
石碑がずらり!!
東海道の石碑に、新田開発発祥の地を示す石碑に、明治天皇が江戸へ遷都する際にお泊まりになった石碑に、月輪寺の石碑。多い!!
それだけ交通の要であり、ある意味で歴史の中心にあった場所ということでしょうか。
 
 

ここにはもう一つ、当時の東海道を思わせる灯籠?がありました。

瀬田唐橋からここまで4.9㎞、草津宿まで3.7㎞。日本橋までは…469㎞!!
まだまだ道のりは遠い…。
 
 
最近やっぱり気になるマンホール。

 

 

 

 

よく見ると『SHIGA PREF KUSATSU CITY』と書かれています。
 
 
今日は池が多いな…と思いながら見た弁天池。
島には弁財天が祀られていて、毎年1月には藁で作った蛇を巻きつけて弁財社に参る山の神の神事があるそうですよ。
 
 
小さな小川のようですが…玉川です。
当時はこの大きさではなかったでしょうが、平安時代の歌にも詠まれているそうですよ。
あすこむも 野路の玉川 萩越えて 色なる波に 月宿りけん 源俊頼
『野路の玉川』や、萩の名所だったことから『萩の玉川』とも呼ばれていました。
全国にある六玉川の一つにも数えられています。
東京にもありますね。多摩川
 
 
すぐ側には野路駅という宿駅があったことを示す看板も。
平安時代から鎌倉時代にかけて、東海道の宿駅として設けられたそうです。
源頼朝北条泰時が宿泊したという記録があるそうですよ。
 
 
玉川よりも目立つ玉川の石碑。
それだけ昔は人が集まる場所であり、有名な名所だったのでしょうね。
 
 
そここら少し歩いた個人のお宅にこんな看板が。

平良清宗の胴塚があるそうです。

平安時代の人で、源平合戦の際に都落ち壇ノ浦の戦いで父の宗盛と捕らえられたそうです。
このお宅では、その清宗の胴塚を代々供養しているのだとか。
元々胴塚があった場所に家を建てて供養することにしたのか、逆なのかは分かりませんが、凄いですね。
運が良いと、お家の方が出てこられて中に入れていただけ、一度だけ見たことがあるとウォークリーダーさんが言っていましたが、今回は残念でした。
だからといって個人のお宅なので勝手に入ったり、見せてくれと押しかけたりしないように!!
 
 
長くなったので、次のブログに移ろうと思います。
何だかんだで折り返しまで書けたー!!