歴史好き女子めぐるの『おでかけ日和』

史跡や歴史的建造物、寺社仏閣をメインに旅している歴史好き系カメラ女子のブログです。はてなブログ2019.10.14~

【第3回】中山道を歩く③【瀬田唐橋〜草津宿】

ブログ記事を1日1つ更新だと確実に終わらないので、いつもは駆け足なんて言っていますが、今回はマッハを目指して書きたいと思います!!
 
 
建部神社さんでの早めのお昼ご飯を終えて、中山道へと戻りました。
少し歩いた所にあった立派な桜の木。
『大場の桜』と名付けられているそうです。
樹齢約200年の古木で、ずっとこの場所で中山道東海道を歩く人たちを見守っていました。
つまり、江戸から浪士組が京を目指した時の事も知っている木という事ですよね。
わぁ、木と話せたらいいのに…。すぐに妄想癖が…。
後に新選組となった近藤さんや土方さん、沖田さん達もこの木がまだずっと若い時に見たのでしょうね。
きっと綺麗な桜を咲かせるんだろうな。
 
 
歩きながら大急ぎで撮ったので(どれもですが)ぶれっぶれですみません。
『大江の千里』。
読めないと思うので書き出し…
大江の地を荘園として持っていたと伝えられる『大江の千里』は平安時代前期の歌人で、三十六歌仙のひとりとして、また、百人一首の第二十三首の歌人として著名な人である。
その奥方がこの地に住んでいた。
村人はその跡地に野上神社を建て、その遺構を偲んだといわれる。
二十三首といえば、
月みれば  ちぢにものこそ 悲しけれ
わが身ひとつの 秋にはあらねど
ですね。勉強できなかったくせに、こういうのは覚えてる。笑
中山道を歩いていると、ちょいちょい百人一首の話が出てくるので楽しいです。
 
 
そんなことを思っていたら、この旅で初めて石碑が残っている一里塚跡に到着しました。
今まで、この辺りにあったらしい…と話だけ聞いていたので、噂はかねがね…という気分でした。
前にも書いたかもしれませんが一里塚とは…
江戸時代に旅人の目印として江戸の日本橋から一里(約4㎞)ごとに作られた小さな山の事。
ここの一里塚は、日本橋から数えて131番目のものだそうです。
大きな松の木が植えられた塚でしたが、明治末期に取り除かれてしまいました。
 
 
一里塚から少し歩いた所にあったのが、東海道立場跡です。
ここに、かつては月輪池という池があったそうです。
昔の荘園の池かな!?があり、旅人がここを通った際に、池に映る月影を見て感嘆し、この名前が付けられたそうです。
 
 
今ではすっかり池もなく、言われないとここが池だったなんて分かりません。
いつまであったのでしょうね、池。
 
 
 
長くなりそうなので、続きはまた今度にします。