ブログ記事を1日1つ更新だと確実に終わらないので、いつもは駆け足なんて言っていますが、今回はマッハを目指して書きたいと思います!!
建部神社さんでの早めのお昼ご飯を終えて、中山道へと戻りました。
少し歩いた所にあった立派な桜の木。
『大場の桜』と名付けられているそうです。
つまり、江戸から浪士組が京を目指した時の事も知っている木という事ですよね。
わぁ、木と話せたらいいのに…。すぐに妄想癖が…。
後に新選組となった近藤さんや土方さん、沖田さん達もこの木がまだずっと若い時に見たのでしょうね。
きっと綺麗な桜を咲かせるんだろうな。
歩きながら大急ぎで撮ったので(どれもですが)ぶれっぶれですみません。
読めないと思うので書き出し…
その奥方がこの地に住んでいた。
村人はその跡地に野上神社を建て、その遺構を偲んだといわれる。
二十三首といえば、
月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ
わが身ひとつの 秋にはあらねど
ですね。勉強できなかったくせに、こういうのは覚えてる。笑
そんなことを思っていたら、この旅で初めて石碑が残っている一里塚跡に到着しました。
今まで、この辺りにあったらしい…と話だけ聞いていたので、噂はかねがね…という気分でした。
前にも書いたかもしれませんが一里塚とは…
江戸時代に旅人の目印として江戸の日本橋から一里(約4㎞)ごとに作られた小さな山の事。
ここの一里塚は、日本橋から数えて131番目のものだそうです。
大きな松の木が植えられた塚でしたが、明治末期に取り除かれてしまいました。
一里塚から少し歩いた所にあったのが、東海道立場跡です。
昔の荘園の池かな!?があり、旅人がここを通った際に、池に映る月影を見て感嘆し、この名前が付けられたそうです。
今ではすっかり池もなく、言われないとここが池だったなんて分かりません。
いつまであったのでしょうね、池。長くなりそうなので、続きはまた今度にします。