歴史好き女子めぐるの『おでかけ日和』

史跡や歴史的建造物、寺社仏閣をメインに旅している歴史好き系カメラ女子のブログです。はてなブログ2019.10.14~

【第2回】中山道を歩く⑤【山科〜瀬田唐橋】

今日はのんびり休日を満喫中…。
本当はとある場所へ刀を見に行く予定だったのですが、車がないもので…。
久しぶりにパソコンを開いて、こちらからブログを書いてみようかなぁ、と。
 
 
さて、第2回の中山道を歩くツアー記事、やっと折り返しです。
 
 
一行は蝉丸神社さんの下社へ。
中山道を歩いて分社、上社を通過し、やっと神社の中へ入れる・・・。
線路を横断して入るスタイルの神社さんでした。
 

 

 

歌人や芸能関係の人も多く参拝するとか・・・。

ここの名前の通り、百人一首の歌を詠んだ歌人であり、琵琶の名手だった蝉丸さんを祀っているからですかね。
 
 
 

 

ここで中山道、大津宿のお話を聞きました。

中山道は、幕末に和宮が14代将軍・徳川家茂のもとに降嫁した際に使用したということで、姫街道とも呼ばれているんですよね。
そして、中山道で一番大きな宿だったという大津宿には、当時2万人もの人が住んでいたのだとか。
今では2万人って少ないと思ってしまうかもしれませんが、昔だとすごい数ですよね。
 

 

 

 

 

 

実蔓(さねかずら)が実っていました。

 

逢坂の関にあった石碑で密かに載せましたが、百人一首「名にし負はば 逢坂山の さねかずら 人に知られで くるよしもがな」というのがありますね。
逢坂の関でよりも、ここで実蔓を見た時の方がこの歌を思い出せました。
自然とこうして昔の人が残した歌を思い出せるということは、中山道を歩きながら昔の人の気持ちに近づけている!?
 

 

立派な拝殿がブルーシートをかぶせられて悲惨なことになっていました。

ここは2007年に宮司家が途絶えてしまい、荒廃してしまったそうです・・・。

今は宮司さんがいらっしゃるそうですが、一度荒廃してしまうと、修復はなかなか難しいですよね・・・。
 
 

 

拝殿前には立派な狛犬が。

狛犬ってついお顔アップで撮ってしまいますよね。
 

 

ちゃんと参拝してきました。

今はなくなってしまったそうですが、昔、演歌歌手の森新一さんと、当時奥さんだった大原麗子さんが参拝した際に奉納したという提灯があったそうです。

 

 

蝉丸神社さんを出て、大津駅を少し越えたあたりに・・・ありました。

当時最大だったという大津宿は、残念ながらこの説明書きと石碑くらいしかここにあったという事を示すものはありません。
大津といえば、新選組総長だった山南さん・・・この辺りで沖田さんに追いつかれて京の壬生にある屯所へと帰って行ったのかな・・・。
と、すぐに新選組脳になるのが私です・・・。
 
 
大津宿は江戸から数えて69番目の宿。まだまだ江戸の日本橋までは遠い・・・。
宿場の街並みは1里19間半、現在でいうと約4.3㎞もあったのだとか。
戸数は3650軒、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠は71軒・・・いや、よく山南さんと沖田さん再会出来ましたね。
沖田さんが来るとふんで待っていたとしか思えない・・・(妄想です)。
 
 

 

石碑からほんの少し歩いた辺りにある交差点の反対側に、当時は札の辻があったそうです。

御触などが書かれて張り出された高札場や馬会所、人足会所、平等会所などが設けられ、賑わっていた場所だそうです。

新選組の足跡を感じつつ、私は京へは帰らず先へと進みます。

 

つづく