歴史好き女子の『おでかけ日和』

史跡や歴史的建造物、寺社仏閣をメインに旅している歴史好き系カメラ女子のブログです。はてなブログ2019.10.14~

【第2回】中山道を歩く③【山科〜瀬田唐橋】

中山道旅を書き進めるのですが、今回書くのは一ヶ所だけです。
写真が多くなってしまったので。
こうやってブログ記事が増えてしまうのですよね。
 
 
 
それだけ有名な場所なんです。
この石碑をパッと見ただけでは分かりづらいですよね。
大津絵の事がメインで書かれていますが、石碑の右上に注目。
「逢坂関跡」と書かれていますよね。
 
 
 
 

百人一首の中でも覚えている人が多い(と私は思っている)蝉丸の「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」で有名ですよね。

 
 
ここには蝉丸以外にも、三条右大臣や清少納言が詠んだ逢坂の関の歌の石碑がありました。
 
 
 
 
昭和6年から8年にかけて国道1号線が改修工事され、その時この峠は4mほど掘り下げられて拡幅され、石碑も建てられたそうです。
逢坂越は京と各地を結ぶ東海道東山道北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要で、古くから貴族や武将などがここを通過し、ここを題材にした歌が万葉集古今集にも多く残されているのだとか。
正直、「これやこの〜」しか知らなかった。
 
 
 
逢坂の関は今ではちょっとした休憩スペースみたいになっていて、説明が書きもありました。
勉強になる。
 
 
 
因みに、逢坂の関の関の出入口はこんな感じ。
関所っぽいものが再現されていました。
昔はここにお役人さんが立って通行手形や持ち物検査をしていたのかな?
 
 
 
ここにも説明書きが。
逢坂の関は主に平安時代のイメージが強いですよね…。平安後期には徐々にその形を失ったとありますが、室町時代に4代将軍足利義持がお伊勢参りのために通ったという記録があるそうなので、浪士組の頃には既にないにしても、戦国時代あたりまでは存在したのかな。
 
 
 
 
こちらが逢坂の関の石碑。
実は逢坂の関があったのはここではなく、もう少し大津寄りなのでは?とも言われているそうですが、正確な場所は明らかになっていないそうです。
 
 
 
 
さぁ、逢坂の関を無事通り抜け、信号を渡ってから再び進軍を続けます。
ここから次の目的地まではしばらく歩いたかな。
それまでにも面白いところは色々あったので、それも含めて紹介できればと思ってます。