歴史好き女子の『おでかけ日和』

史跡や歴史的建造物、寺社仏閣をメインに旅している歴史好き系カメラ女子のブログです。はてなブログ2019.10.14~

【第3回】中山道を歩く⑦【瀬田唐橋〜草津宿】

東京行きの新幹線に乗り込んでひと息。
久しぶりの東京にワクワクなのですが、今回の目的は東京観光ではないので滞在は…あ、でも妹の家でなんだかんだで2泊します。
 
 
さて、第3回の中山道旅ブログもラストです。
やっとこの回のメイン、草津宿の事が書ける。
 
 
草津宿は、江戸から歩けば中山道東海道が出会う場所、京から歩けば別れの場所です。
中山道でいうと、江戸から68番目の宿。
まだまだ先は長い。
天保14年の記録(沖田さんが生まれた辺りの年だ!!)によれば、草津宿内の家屋の数は586軒、そのうち本陣と脇本陣はそれぞれ2軒、旅籠が72軒と、とても大きな宿場町だったようです。
 
 
なんとなく、宿場町にはあるイメージの(気のせい?)の酒屋さん。
いかにも古くからある感じの建物が素敵ですね。
 
 

草津宿の道を歩きます。

真っ直ぐに見えて、よく見ると少しカーブしているのが分かりますか?
これ、わざとだそうで、車がスピードを落とすように工夫しているのだとか…。
意外と現代の都合だった。
 
 
地面にはめ込まれた草津宿内の地図
宿場町だと、建物が残っているところでいえば、岡山県の矢掛と、新選組縁の日野くらいしか行ったことがないのですが、その2つとはまた雰囲気が違いました。
 
 
この日のメイン、草津宿の本陣。
2つあったうちの1つ、田中七左衛門本陣です。
現存する本陣の中では最大級らしいです。
因みに、もう1つあった本陣は田中九蔵本陣といい、どちらも田中さんのお宅だったらしいですが、親戚関係とかではなかったそうです。
田中七左衛門本陣に名前が残っている有名な方といえば…浅野内匠頭と吉良幸之助(数日違いで宿泊したそうです!!)、そしてなんといっても新選組の土方さん、斎藤さん、伊東さん、藤堂さん!!
新選組の人たちはフルネームよりもさん付けが何故かしっくりくる…。
新選組の面々は、大福帳の内容ではどのような利用をしたのか分からないそうですが、名前がしっかりと残っていました。
因みに、田中九蔵本陣に名前が残る有名人といえば、篤姫だそうです。
 
 
田中七左衛門本陣に潜入。
ここの釜では一度に200合ものご飯を炊いていたそうです。
 
 
利用の仕方はさまざまで、ご飯も出してもらっての宿泊、ご飯は自分たちで用意しての宿泊、トイレ休憩なんていうのもあったみたいです。
本陣は、庶民ではなく大名行列などのお偉いさんが利用する場所だったので、大所帯な場合が多そう。御一行が入ってくるたびに大忙しだったでしょうね。
 
 
外には蔵がずらり。
醤油や味噌を貯蔵する専用の部屋みたいなものもありました。
 
 
新選組の4人が通されたのはこの部屋かな?この部屋かな?とワクワクしながら部屋を見て回りました。
一部屋ずつ壁や畳縁が違うから見ていて面白い。
 
 
御一行の中でもお偉いさんが使っていたというお風呂。
縁側を通って行く離れのような場所にあったので、この季節は寒そうですね。
そうそう、写真NGだったので、そこは撮影できなかったのですが、将軍とかが座る場所って、床の高さも他よりは高くなっていて、更にその上に分厚い畳の台みたいなのがあるじゃないですか。
寝る時も、その狭い台の上という…。
ここの一番偉い人が泊まる部屋もそうなっていたのですが、あれは縁の下に潜んだ刺客が床下から刃物で突き刺しても届かないようにだそうです。
なるほど。確かに縁の下からだと使える刃物の長さはある程度決まってきますし、高さを作ることで届かなくできる…。
 
 
 
ここでは中山道の地図を売っていたので、自分へのお土産に買ってしまいました。
通過したところには色をつけていこうと思います。
 
 
さぁ、いよいよ東海道とはお別れです。
 
 
 
私達は、中山道を行くので、草津宿に沿って真っ直ぐ進みます。
が、今回はここまで!!
次回からは土日2日間で歩いていきます。
 
 
最後は旧草津川でバスに乗り込みました。
有名な天上川だったそうですが、河川工事によって今は新草津川が別の場所で流れています。
草津川は今はお洒落なお散歩ロードみたいになっていました。
カフェもあって、思わず吸い込まれるように入っていきそうになりました。
 
 
さて、生憎の雨で今日は富士山が見えません。
ひと眠りしようかな。
では、皆さん良い3連休を!!