関門人道トンネルを歩き、下関にやってきました。
ここからは約半日という限られた時間でしたが、下関の史跡をメインに散策の模様をお伝えします。
源氏と平氏の決戦の地
人道トンネルを出ると、すぐそこは歴史上とても有名な戦いの跡地でした。
源氏と平家、それぞれの有名武将の銅像を発見。
壇ノ浦の戦いはこの辺りで起こったんですね。
源義経!!
言わずと知れた源氏の名武将ですね。
これは平教経の攻撃を船から船へ飛び移ってかわしたという『八艘飛び』を再現しているようです。
これだけの甲冑を身にまとって飛び回るとは…鞍馬山で天狗に稽古をつけてもらっていたという伝説は伊達じゃない!!
そしてこちらは平家を率いていた平知盛。
壇ノ浦の戦いで碇の鋼を身体に巻き付けて入水したという『碇かつぎ』を再現しているそうです。
はじめは平家が有利だったものの、潮の流れが変わり、結果源氏が勝利を収めて平家はここで滅亡しました。
幼い安徳天皇も一緒に入水して亡くなってしまいました。
大河ドラマなどで何度も再現されている悲しいシーンですが、そんなことがここであったと全く想像できないくらい、穏やかな場所でした。
長い源氏と平家の戦いの終わりとともに、ここから武家社会が始まったといっても過言ではありませんね。
幕末の長州砲
同じ公園内に幕末の名残もありました。
文久3(1863)年に長州藩が関門海峡を通過する外国船を砲撃しました。
そのことで翌年にはアメリカ・イギリスなどの連合艦隊から報復を受け、大敗してしまうのですが…。
この大砲は幕末に長州で多く作られていたものの原寸大に復元したレプリカだそうです。
さぁ、歩き始めよう!
壇ノ浦の戦いの跡地ということもあり、源氏・平家の時代にゆかりの石碑や跡地が多く残っているようです。
これもその1つ。もう少し進んだ先に井戸があったり、山にも上って関門海峡を眺めたかったのですが、下関駅方面に向かいたかったので今回は逆方向になる…ということでやめておきました。
なにしろ半日ほどしかなかったので…。
これが有名な安徳天皇が入水した場所を示す石碑。
ドラマとかでそのシーンが流れるたびに切なくなる…。
これが実際にあったことだと思うと…壮絶ですね。
この壇ノ浦古戦場址の石碑、よく見かける気がします。
石碑がないと本当にうっかり忘れてしまうくらい穏やかな場所。
関門大橋をくぐって先を進みます。
とてもいい天気だったので、青空に橋が映える。
道路の反対側にたくさんの鳥居が並ぶ神社をはっけんしました。
気になりつつ…先を急ぎます。
下関は泊りがけでゆっくり訪れてみたいです。