今日から鞆の浦旅ブログ再開です。
と、言っても前回は鞆の浦とうよりも熊野だったので、ここからはやっと鞆の浦ブログといった感じですね。
朝鮮通信使と對潮楼
まず向かったのは、あの幕末の風雲児、坂本龍馬にも縁のある場所です。
石畳がとても素敵な道を行き…。
辿り着いたのは對潮楼でした。
對潮楼は福禅寺の客殿として元禄七年(1694年)に建立されました。
寛永13年(1636年)の第4回朝鮮通信使は初めて福禅寺(当時は観音寺)に宿泊し、以後上官三使、正使、副使、従事官の常宿となりました。
正徳元年(1711年)に對潮楼に宿泊した一行は対馬から江戸まででここからの景色が最も優れているとして従事官李邦彦(イバンホン)が「日東第一形勝」の書を残しました。この書は2017年10月ユネスコ世界記憶遺産として登録されました。文化9年(1812年)、鞆の商人によって木額に仕立てられここ對潮楼に現在も掲げられています。
それが薄暗くなってしまいましたが、この写真の上にある額です。
この額下の柱を額縁に見立てて見る海が最高と言われてやってみました。
まるで絵画のようで目を楽しませてくれますね。
第10回の通信使は延享5年(1748年)に来日し、鞆の浦に寄港しました。この時福山藩主阿部正福は大坂城代を務めていたため、宇和島藩・豊後日田の代官・越前の代官の三者が幕府から接待役を命じられていました。
ところが、上官三使が福禅寺を常泊していたことを知らなかったのか、阿弥陀寺に宿泊を定めてしまいます。そこで重大な事件が発生!
三使は従者から「ここは福禅寺にあらず」と告げられると「なぜ福禅寺を宿舎にしなかったのか」と日本側に詰め寄ります。そこで「福禅寺は焼失したので阿弥陀寺を宿舎にした」と苦しい言い訳をしたためますます三使を怒らせてしまいます。
ついには「福禅寺は日本第一の勝景なりその佳境を眺望したいという外国からの使節を欺くのか」と激怒し夕食もとらず船に帰ってしまったそうです。
そこで素直に謝って宿舎を福禅寺にすれば良かったのに苦しい嘘なんてつくから…。
嘘をついてはいけないという良い例ですね。
復路では福禅寺に入り美しい景観を愛した正使 洪啓禧(ホンケヒ)は客殿を「對潮楼」と命名したそうです。
ちなみに、朝鮮通信使の通信とは「信(よしみ)を通わせあう」という意味らしいですよ!
坂本龍馬と對潮楼
鞆の浦といえば、いろは丸と坂本龍馬ですよね。(と、言ったらいや、鯛とかポニョじゃない?と友達に冷静に突っ込まれました。笑)
いろは丸と紀州明光丸が衝突したのが鞆の津沖、広島県走島より東南・岡山県六島、広島県宇治島沖でした。その事件の鞆での第3回目の談判交渉場所となったのが對潮楼です。
いろは丸(100t)は大洲藩所有の機帆船で、これを坂本龍馬が15日間の約束で借りて海援隊の初航海として慶応3年(1867年)4月19日長崎を出航。龍馬さんの奥さんであるお龍さんのいる下関に寄港することもなく大坂に向けて順調に航海していました。
ところが、4月23日午後11時頃に備後灘の岡山県六島沖にさしかかったところ、紀州から長崎に向け航行中の徳川御三家紀州藩の明光丸(887t)と衝突。
右舷機関室あたりに衝突されたいろは丸は大破して航行不能となり、明光丸に曳航されて鞆の津に向かいましたが、その途中で翌日4月24日午前4時頃広島県宇治島沖4kmの地点で沈没。乗組員32人は明光丸に乗り移り午前6時ごろ鞆の港に辿り着きました。
鞆に着くと直ちに談判が開始されて最終日に談判を行ったのがこの福禅寺の客殿「對潮楼」です。歴史があり、格式が高いため最終局面に用いられたと考えられるそうです。それまでの交渉では龍馬さんは変名「才谷梅太郎」を名乗っていましたが、この對潮楼では海援隊長坂本龍馬の名札を渡して交渉に臨んだそうです。
しかし、鞆での談判は決着がつかず明光丸は藩命で急ぐとの理由で4月27日に出航し談判の舞台は長崎に移りました。この事件は日本初の機帆船による海難事故でした。
そんな説明コーナーも對潮楼内に展示されていました。
坂本龍馬縁の地はいろいろと訪れていますが、やはり彼もいた場所だと思うと胸がざわざわするといいますか、大好きな幕末という時代の中に自分も入り込んだような感覚がして滾ります。
對潮楼のお楽しみポイント
そうそう、ここの職員さんに教えてもらったのですが、とある柱にはのぞき穴のようなものがありまして。
それをのぞくと対岸の弁天堂がこんな風にアップで見ることができました。
私は少し下手くそでしたが、スマホのカメラレンズを上手く合わせるとこんな風に写真も撮れます。
これはその職員の方が私がもたもたしていたら撮ってくれました。笑
色合いが少しくすんで古いカメラで撮ったように見えるのも私的にはポイントが高い。
行かれた際はぜひやってみてくださいね!
御朱印は書き置きのみの対応でしたが、いただくことができました。
その場で日付だけ入れてくれるスタイルでした。
平成のいろは丸で航海へ
さて、對潮楼を出てから海の方へ。
お、ちょうど来た来た!
目的はこの船です。
乗り場へ急いでチケットを購入。往復でしか購入出来ず、行きにチケットを購入して指定の場所に入れれば、帰りにチケットを気にせず載ることができるスタイルでした。
こういうの、往復で買って帰りにチケットどこにやったかな?なんてことがあるから、分かりやすくて帰りの心配もなくてとても有り難かったです。
乗り場には坂本龍馬の顔出し看板がありました。笑
先ほどの對潮楼でも出てきた『いろは丸』です。
幕末に沈んでしまった船が『平成いろは丸』として蘇ったらしい。
この船に乗って向かいの仙酔島まで行くことができます。
大喜びで私も乗船。
中には船の舵や
いろは丸事件の説明
龍馬さんのお写真がありました。
幕末好きにはたまらんぜよー!
さて、船内を堪能してからデッキに出て海風を楽しみつついよいよ出港です。
大人1人往復240円でだいたい4分くらいの船旅でした。
船に乗ると、突然大冒険感が出るから、とってもお得で楽しめると思います。
仙酔島での様子はま次回のブログで。