嬉しい嬉しい連休の到来ですね!
私は昨日の午前中までお仕事でしたが…それでも3連休。
仕事柄、相変わらず遠出は難しいですが、それでもお休みは嬉しくてワクワクしてしまいます。
さて、のんびり書いてきた鞆の浦旅も今回でラストです。
鞆の浦の町並み散策
鞆の浦といえばこの光景…と私が思っている辺りにやってきました。
船着き場の向こうに石灯籠といろは丸展示館。鞆の浦に来た!!という感じがします。
古い建物の間の石畳の道もレトロで雰囲気がありますよね。
右の方にちらっと写っている町名の看板を何カ所かで見かけて、そのたびに『仁丹』と書いてあるのが密かにずっと気になっていました。
太田家住宅にも行ってみました。
太田家住宅は、鞆の浦で有名な保命酒の製造・販売をして財をなした、重要文化財にもなっている立派なお宅です。
幕末には『八月十八日の政変』により7人の公家が京から追放された『七卿落ち』で長州に落ち延びる際にここに5人の公家が立ち寄ったと言われています。
私も立ち寄り…と思ったら、この日はお休みでした。
新型コロナウイルスの感染予防のため、今は休日しか開館していないようです。
今はどこに行くにも開館状況を要チェックですね。
諦めていろは丸展示館へ…と思ったらそちらも平日はお休みのようでした。
以前に行った事があるからいいけど…なんか残念…。
でも、晴れていたから石灯籠がよく映えました。
今、鞆の浦に行くなら断然休日ですね。
鞆の浦を一望!医王寺さんへ
ゼーゼーと息を切らしながらなんとかここまで登ってきました。
この高台にある医王寺さんは、鞆の浦が一望できるスポットです。
www.city.fukuyama.hiroshima.jp
ここから更に上、太子殿まで登ると更に絶景。
国立公園第一号記念で1939年に発行された切手の写真はそこから撮影されており、今でもその景色を見ることができるのですが、医王寺から583段もの石段を更に登らなければならず、断念…。
この日は暑すぎて、断念ばかりしていた気がする…。自分の貧弱さと日差しへの弱さを呪うばかりです。
もっと涼しくなってからここもリベンジです。
不思議スポット!?平賀源内生祠
医王寺を出て、少し階段を下りたところにちょっと不思議なスポットがあります。
それが、平賀源内生祠。
『生祠』というものを最初よく理解していなくて、平賀源内が生まれた場所ってこと?でも平賀源内は讃岐出身だったような…?と思いながら気になったので行ってみました。
こちらがその生祠です。
どうやら、平賀源内が諸国を遍歴し、鞆の浦にやって来たときに源内焼の製法を伝え、土の神、かまどの神、平賀源内大明神を三荒神として祀るように言い残して去って行ったようです。まだ生きている時に祀られたから『生祠』というそうです。
自分で自分を祀るようになんて言う人も面白いですが、それを本当に祀るというのも面白いですよね。
聞いたことがなかった生祠ですが、日本にはどれくらいあるのでしょう?気になります。
福山市鞆の浦歴史民俗資料館
一旦街中に戻ってきました。
昔ながらの建物に暖簾と氷の文字がぶら下がっているの、雰囲気があっていいですよね。
ノスタルジー。
またまたゼーゼー言いながら少々高台にやって来ました。
今思えば、この日は無理とか言って諦めながらも結構坂を登ったり下りたりしましたね。
元々ここには鞆城があり、足利義昭が京を追われてここに滞在、毛利氏の庇護下で『鞆幕府』を作った場所でもあります。
大河ドラマ『麒麟がくる』でもそのうち出てくるかもしれない要チェックな場所ですね。
折角来たならこの辺りの歴史を知りたいと思いまして。
館内は写真NGだったのでありませんが、私行った時はちょうど企画展『八朔の馬』が開催されていました。
鞆では旧暦の8月1日(朔日)に、初めての男児が生まれると木製の白い馬と台が作られ、町中を引きまわして健やかな成長を祝ったそうです。これは鞆独自の文化で、江戸時代から昭和初期まで行われていたとか。
今回は江戸時代から昭和初期の「八朔の馬」や江戸時代の古文書、他地域に残る八朔の行事が紹介されていました。
唯一撮影OKだった展示。
地下…と言っても車庫のようなところで建物の外から入って見るスタイルでした。
そこに展示されていた漁船。
ちょっとここらで史跡巡り
この日はなんとなく満足して、あとは少し散策しようということで、ふらふらと歩いてまわってみました。
まずは旧魚屋萬蔵宅。
現在はオシャレなホテルになっています。食事もできるので、いつかは入ってみたい所です。この日はバテすぎて食欲がなかったので入りませんでした…。
建物の脇にひっそりと石碑も建っていました。
石碑見つけるの大好きマンです。笑
いろは丸事件については前のブログで書いているので、割愛します。
またまた階段を少し登って今度は圓福寺さんへ。
本当に疲れた疲れたと言いながらこの日はよく登りました。と、いうか思っていた以上に鞆の浦、坂多過ぎ。笑
ここは、元大可島城の跡地で、お寺は元々別の場所にあったのを移転したそうです。
大可島城は、鎌倉末期から南北朝時代に築かれたといわれているお城で、先ほど行った鞆城にいた足利義昭の保護のため、因島村上亮康が居城したとか。
この辺りの海を仕切った村上水軍がここを拠点にしたというのは何となく納得です。
なぜなら、海を見張るには絶好の場所だから。
この前のブログでも紹介した仙酔島もよく見えます。
江戸時代には朝鮮通信士が来日した際の上官の常宿として使われたり、いろは丸事件の談判の際、紀州藩側の宿舎としても使用されたそうです。
石段を下りていると、のんびりくつろぎ中の猫に遭遇。
近くを通っても写真を撮っても全然警戒しませんでした。この辺りの人たちや観光客にかわいがられているんだろうなぁ。
最後の目的地に行こうと歩いていたら、龍馬さんの石像を発見しました。
バックがバックだから…強い!!なんか龍馬さんが従えている感。笑
そして、最後の目的地は…ある程度覚悟していましたがやっぱり休館していました。あぁぁ…。
ちなみに、ここは坂本龍馬が潜伏していた桝屋清右衛門宅です。
龍馬さんが潜伏していた屋根裏などを見学することができます。ここも過去に入ったことがあり、以前にブログで紹介したこともあるので、気になる方は#広島旅のカテゴリで遡ってみてください。