開陽丸のすぐ側にある、鴎島(かもめじま)にも行ってきました。
この名前の由来、鳥のカモメに形が似ているかららしいです。
海の駅の方にどれくらいで一周できるかを聞いたら、時間よりも、岩肌が出ていて道がゴツゴツしている為、大丈夫?と心配されました。
健康的な丈夫さはないけれど、足腰は丈夫な方です・・・多分!!
まずお目見えしたのは瓶子岩。
伝説では、神から瓶子を授かった折居という姥が、瓶子の中の水を海に注ぐと、ニシンが群れて江差の人々の生活の糧となりました。
瓶子岩はその瓶子が逆さまになり、岩になったものと伝えられているそうです。
確かに面白い形の岩ですよね。
階段を登って鴎島へ。
登ったところは広場のようになっていて、ゴロゴロ~っと転がりたくなるような気持ちの良い場所でした。
海からの風も心地よい・・・。
海沿いに道が設けられていて歩く歩く・・・。
岩肌が・・・と説明を受けていたので、もっと足場の悪いところを歩くのかと思っていたら、とても優しい仕様になっていました。
荷物多いしどんくさそうなのが一人で行こうとしたから心配してくたのかな!?
鴎島にある2つの台場のうち、一つ目のテカエシ台場跡に到着。
江戸時代後期に諸外国の船が日本近海に現れはじめ、幕府や松前藩が設けた台場だそうです。
こちらは鴎島の北側の台場跡です。
島にある厳島神社や浜田喜一像を巡って、もう一つの台場跡を目指します・・・。
島の上からも開陽丸が見えました。
島の北の端から南の端を目指したので、結構歩く歩く・・・・。
歩いている最中に見える波打ち際が、ふだん瀬戸内海しか見ない私には荒削りで物珍しくて・・・。
沢山写真を撮ってしまいました。
潮が満ちていたので隠れてしまっていましたが、『弁慶の足跡』があるそうです。
潮が引いている時には崖の下の平らな岩盤に足跡の様な2つの大きな穴が空いているのが見えるそうです。
これは、源義経に伴って江差にやってきた弁慶の足跡だと伝えられているそうです。
で・・・でかいっ!!
そして、やはりこちらの方には平泉で亡くなったとされる源義経や弁慶が実は生きていて・・・という話が残っているのですね。
いいなぁ・・・平泉行きたいなぁ・・・。
こちらが南側の台場、キネツカ台場跡です。
明治二年の戊辰戦争の際には江差を占拠していた旧幕府軍の大筒が置かれ、攻めてきた新政府軍の軍艦に対して砲撃も行われたとか。
歩いて一周できてしまう小さな島に沢山の歴史のロマンを詰め込んだような場所でした。
今日は私の敬愛している沖田総司の命日ですね(旧暦だけど・・・)・・・。
今年もこの日が・・・。
そういえば、平成の元号でこの日を迎えるのは最後なんですね。
不思議な感じ・・・。