今日は土方さんの誕生日といわれている日ですね(新暦の方の)。
平成でこの日を祝うのはもう最後かぁ・・・。そして、平成で過ごす5月はもう1時間ほどかぁ・・・。
そこまで愛着はないつもりだったけれど、いざ平成が終わると思うと、もの悲しいといいますか、やっぱり意識してしまう平成生まれです。
さて、5月中にゴールデンウィークのことは書ききりたかったのですが、どう考えても無理です!!
まだまだあります!!
なるべく早く書きあげてしまいたいと思いつつ・・・悠長にしすぎました。
もう暫くお付き合いください。
鴎島から戻ると、えさし海の駅にあった明治維新頃の縁の地を紹介したパネルをもとに散策しました。
マンホールにも開陽丸が描かれている!!
会社にマンホールカードを集めている人がいるのですが、これもカードになっているのかな!?
初めて少し欲しいと思ってしまいましたがどこで配られているのか分からず・・・まぁ写真を撮ればいいか!!と、自分の中で完結しました。笑
収集癖があるようでないタイプです。
『会議処』跡
明治二年、新政府軍反攻の際、江差商家の村上三郎右衛門宅が『会議処』として使用されました。そのお宅はこの付近にあったそうです。
開陽丸から歩いてすぐの場所にありました。
古い雰囲気のある建物が沢山残っていたので、楽しみながら歩いていたら、一際目立つ白い扉の蔵の様な建物が見えて、すぐに分かりました。
長州藩宿所跡
現在の『佐々木病院』があるところ、と説明に書いてあったので、それを頼りに探しました。
能登屋の坂
能登屋の坂の途中に、能登屋という問屋会所があり、江差を攻めてきた榎本武揚や土方歳三がこの能登屋で休んでいたという伝説があるそうです。
姥神大神宮
旧幕府軍が蝦夷に上陸する前、函館裁判所総督として蝦夷にやって来た清水谷公考という公家が明治元年閏四月に江差を訪れ、ここに参拝したそうです。
その際、和歌を奉納、初穂料を捧げたとか。
横山家
横山家は明治二年、新政府軍再上陸の際に、備前岡山藩の宿所として利用されました。現在は北海道指定有形民俗文化財に指定されているそうです。
時間の関係で中には入りませんでしたが、内部も公開されているそうです。
明治二年、新政府軍の再上陸の際に松前藩の宿所として利用されていました。
本堂の天井には『八方睨みの龍』が描かれていて、公開されているそうなのですが、私が行った時、人の気配が全くしなくて見ることが出来ませんでした。
残念・・・。
とある場所に向かう途中に見つけた、日本ざりがにの住む水
普通の道を歩いていたら、突如目に入ったから気になって仕方がありませんでした。
甕の中を覗いてみてもざりがにがいるのかよく分からなかったし・・・あれは何だったのだろう?
多くなりすぎるので、写真は省きますが、他にも行った場所を簡単に。
歩いて行ける場所に、本当に沢山の史跡がありました。
江差はあと一ヵ所を次回紹介して終わりますね。