歴史好き女子めぐるの『おでかけ日和』

史跡や歴史的建造物、寺社仏閣をメインに旅している歴史好き系カメラ女子のブログです。はてなブログ2019.10.14~

大河ドラマ『麒麟がくる』ロスで地元の戦国史跡に行ってきた

タイトル通り、この前の日曜日に大河ドラマ麒麟がくる』の最終回を観てから激しくロス状態です…。光秀生存説で終わった感じなので、続編がないかな?と密かに期待しているのですが、次の大河が明日から始まるのでそれはないのかな?

 さて、完全にロス状態のため、そういえば地元なのに行ったことなかったな、とちょっとした史跡巡りに行ってきました。

初詣は最上稲荷

ついでとばかりにやっとこさ初詣へ。最上稲荷にやってきました。

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いつもなら参拝客も落ち着いていそうな時期ですが、今年は分散でなんて言われていたからかこの時期にしては多めでした。

ちゃんと参拝して、メインの場所へと向かいます。

そう、今回のメインはあくまで史跡巡りなのです。稲荷さんがゆかりの地というわけではなく、境内から続く道からとある有名戦国武将のゆかりの地へ行くことができるのです!!

秀吉本陣(一の丸)

この矢印に沿って少々坂を上ります。
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何度か最上稲荷には来たことがあるのですが、そういえばこの矢印、気になりつつ行ったことなかったなぁ。

他の参拝客はやっぱり参拝が目的で、同じようにこの道を歩く人は見当たらず、少し歩くとすぐに喧騒が遠くに感じられました。

 

少し進むと妙見堂に到着。
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ここに備中高松城の水攻めに関する説明書きがありました。その内容は一の丸跡に着いてから紹介します。

この妙見堂には備中高松城の守護神と伝わる妙見さまが祀られているとのことなのですが…。その近くに陣を築いた秀吉に備中高松城、水攻めされちゃうよ…。

 

気を取り直して先を急ぎます。
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緩やかな坂のはずなのに、マスクをしたまま歩いていたからか、運動不足が祟ったか、すぐに息があがってゼーゼー言いながら登りました。

 

なんとか秀吉の本陣跡に到着です!!
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天正10(1582)年4月に中国地方を平定するため西へと軍を進めてきた豊臣秀吉(この頃はまだ羽柴秀吉かな?)は毛利側の備中七城を攻めるため備中高松城を見下ろすことのできるこの龍王山に本陣を構え、砦を築きました。

その後、黒田官兵衛が考えた水攻めをするため、指揮をとるのに都合の良い石井山という近くの別の山へと移動して築堤工事を開始することになります。

つまり、ここは秀吉が最初に陣を構え、軍議を行った場所というわけですね。

 

足守川の水取口から約3㎞の堤防をなんと11日間で作ったとか。完成したころがちょうど梅雨ということもあり、作戦通り城は水没してしまいます。備中高松城の水攻めに関しては大河ドラマだと『軍師官兵衛』の方がしっかりと描かれていた覚えがあります。

 

ここには豊臣秀吉…ではなく日蓮銅像が建っていました。
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本陣跡からの眺めはこんな感じ。
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眺めが良いですよね。今では備中高松城跡にお城はなく、公園になっていてこの写真ではどこに備中高松城があるのか分かりにくいですが…。当時は周囲も沼地だったそうですし、この眺めなら敵の動きも察知しやすかったかもしれませんね。

備中高松城

山を下りて車で少し走り、今度は攻められた側の備中高松城跡へとやってきました。
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備中高松城を中心に、どこにどの軍がいたか分かるモニュメントがありました。羽柴秀吉黒田官兵衛…戦国無知の私でも知っている武将の名前がちらほら。

 

資料館にもお邪魔しました。
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蔵を資料館にしたという感じの建物です。入館は嬉しいことに無料でした。

www.okayama-kanko.jp

開館時間は10時~15時と短めで、月曜日は休館らしいので、行かれる際は要注意です。

 

ここで、続日本100名城スタンプを押せました。

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岡山県で掲載されている続日本100名城はここだけです。

 

御城印もありました。

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水攻めの後、切腹した清水宗治が描かれています。彼の死により備中高松城は開城し、本能寺の変を起こした光秀を追って秀吉は中国大返しをします。

 

資料館にはこのような模型や資料などが並んでいました。
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二階もあって、階段が昔ながらの急な階段でドキドキしながら上り下りしました。笑

 

備中高松城跡は公園になっていて、お散歩するのにちょうどいい感じです。
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暖かい時期なら蓮が咲くのかな?きっときれいなんだろうなぁ。

 

本丸跡には清水宗治首塚がありました。
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清水宗治切腹後、秀吉が家臣に命じて供養塔を作らせたのがこちららしいです。作られた当初は秀吉が水攻めの際に本陣を置いた石井山にあったそうですが、明治になってこちらに移されたのだとか。

備中高松城跡を散策

資料館でいただいたパンフレットをもとに、備中高松城跡周辺を散策しました。

ごうやぶ

『ごうやぶ』といわれる場所を発見。
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この畑?の真ん中あたりにある木の辺りのことらしいです。
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清水宗治切腹を前に、月清入道の馬の口取りの与十郎と宗治の草履取の七郎次郎という人が自分たちもお供すると言って2人で刺し違えた場所なのだとか。

清水宗治自刃の地

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ここで清水宗治切腹をしたそうです。6月4日、秀吉が用意した小舟に兄の月清入道などと乗り、『誓願寺』という舞を舞った後に辞世の句を詠んで切腹したと言われているのだとか。この場所は備中高松城跡のすぐそばにあるお寺の奥、ごうやぶからすぐの場所にありました。

 

ここからでも石井山に築いた秀吉の本陣が見えました。
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スマホのカメラなのと電線で分かりづらいかもしれませんが、左上辺り、山の上のほうに白い旗が見えますか?そこが秀吉の本陣です。

舟橋

何気なしに通り過ぎそうになりましたが、こちらも史跡のようです。
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備中高松城の周辺は沼地でした。周囲と城をつなぐ道は戦になったときに攻められないよう、川船を並べ、その上に板を渡した程度の舟橋だったと伝えられているそうです。今は車が通っても大丈夫な丈夫な橋がかかっているので想像ができません…。

清水宗治胴塚

清水宗治切腹後、家臣が船で城へと帰り主君の遺体を城内に埋めたので胴塚と呼ばれているそうです。
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細い道を少し入った辺りにあったのですが、そこまで分かりやすく矢印の表示がありました。意外と現在の首塚の近くでした。

秀吉の本陣(石井山)を攻める

ここがメインといっても過言ではありません。決死の?山登りです。

備中高松城跡から少し歩いて石井山の麓までやってきました。
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お、鳥居がある。ここを登ればいいのかな?

階段を上ると当然ながら神社がありました。
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この裏とかに登り口が…なかった。どうやら登り口はまた別のところにあったようです。笑

これも縁なので無事に本陣まで辿り着けるように、そして帰ってこられるように祈願しました。

 

階段を下りて改めて『太閤岩入口』という表示を発見。
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今度こそ本陣めがけて出陣です。

 

覚悟はしていたけれど山道~!!
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イノシシとか出てきそう…せめて出てくるならタヌキにしてください…。なんて祈りながら不安を払拭すべく大声で熱唱しながら進みました。この時一番遭遇してはいけない生き物は人間だったかもしれない…。笑

因みになんか勇気をもらえそうという理由で鬼滅の刃の主題歌『紅蓮華』を繰り返し歌ってました。体力不足はすぐに息が上がってゼーゼー言いながらそれでも歌い続けました。笑

清水宗治首塚

漸く最初のチェックポイントとでも言いますか、移される前の清水宗治首塚跡までやってきました。
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こんな山の中でもしっかり表示があって助かりました。設置してくれた方々に本気で感謝!!

跡と言いながら、ここにあったことを示すためか大きな石が置いてありました。
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こんなさみしい所ではなく、備中高松城に戻れてよかったね…と思いながら手を合わせました。

秀吉本陣跡

そこから少し登ったところでいよいよ秀吉の本陣跡に到着です!!
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備中高松城の辺りからも見えていた旗。ようやく間近で見られました。
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『秀吉公本陣跡』と書かれていたのですね。

麒麟がくる』で本能寺の変織田信長が討たれた際に秀吉と官兵衛が会話していたシーンはここかな。今は本当に山の中~という感じですが、当時は持宝院さんというお寺さんがあったようです。

 

本陣からの景色。
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備中高松城とその周辺が一望できます。しかも、最上稲荷にあった最初の本陣よりもお城に近くてはっきり見える。敵方である毛利軍にも近かったそうです。

身軽さ重視で行ったので、一眼レフを持っていかなかったの、失敗だったー!!

 

本陣すぐの谷間に軍馬を繋いでいたようですが…
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覗いてみても木がうっそうと茂っていて馬をここまで連れてきたの!?という感じでした。坂道になっているところしか見当たらないけれど!?当時はお寺さんもあったことですし、もう少し切り開かれていたのでしょうか。

 

さて、ここでゴール…ではなく、もう少し山の中を進みます。
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落ち葉ですべるすべる。せめてこの状況を楽しむべく、子どものように足で落ち葉を散らしながら歩いてみたり。もちろん『紅蓮華』の熱唱はやめません。笑

ここに来る頃には何回歌っていたのだろう…。

太閤岩

やっとたどり着きました。太閤岩!!
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本陣跡からさらに山の奥。秀吉がいたとされる場所で、この岩に座っていたとか。
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『太閤岩』と名付けられていて、なんだか上に座ったり触れたりすると出世できる気がしますよね。上るのは恐れ多かったのでしっかり触れてきました。

 

本陣跡に戻って、この頃には余裕が出てきてこんな写真を撮ったりして一人遊びしてきました。
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ちょうどいい形の切り株があって、スマホをちょうどいい角度に置けたのでセルフタイマーでばっちり撮影に成功★

無事山からも下りることができました。

水攻めの堤防跡・蛙ヶ鼻

山を下り、最上稲荷の大鳥居を眺めながら次の目的地へ。
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ここまで来たらとことん歩きますとも!!

石井山の南側、蛙ヶ鼻に到着です。
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ここは備中高松城の水攻めの際に築かれた堤防を唯一見られる場所です。ここにだけ残っているのです。見ても正直ここだけ土が盛られて高くなってるな、というのと石碑があるから分かる程度ですが…。

今では史跡公園になっています。
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因みに軍師・黒田官兵衛が陣を置いたのはこの近くのようです。

水攻め戦法の要!?足守川水取口

堤防も水攻めには絶対不可欠のものですが、もう一つの重要な場所、水を堤防へと引き入れた場所を目指しました。

 

最上稲荷の大鳥居を歩いてくぐったのは初めてかもしれない。
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改めて見上げると、でかっ!!

 

写真だけだと全然距離感とか分からないとおもいますが、堤防跡から30分くらい黙々と歩きました。お店の並ぶ道路沿いを歩き川沿いを歩き…。
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歩いているとこの作戦の規模の大きさが分かる。いや、水どこから引き入れてるの!!遠いし!!と思わず愚痴がこぼれそうになりました。

 

やっと辿り着きました。
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一本立った立派な木と石碑が目印です。

築堤工事が終了した後、足守川の流れを閉塞し、梅雨で増水した足守川の水を堤防内に引き入れたそうです。その結果大湖水ができ、備中高松城は孤立しました。

備中七城とは

そういえば、秀吉の最初の本陣跡のところでしれっと書きましたが、秀吉たちは“備中高松城”を攻めに来ていたわけではなく、“備中七城”を攻めに来ていました。

東から攻めてきていた秀吉軍に対し、毛利側の防衛ラインとなったのが足守川沿いに並んだ備中高松城・宮路城・冠山城・加茂城・日幡城・庭瀬城・松島城の『境目七城』と呼ばれる七つの城でした。その中でも中心だったのが備中高松城でした。

他の6つもそれぞれ城跡ですが、残っているようなので、また機会をみて行ってみたいです。