今日で三が日もも終わり、私の所では明日が仕事始まりです。休日って過ぎ去るのが本当に早いですよね。
今年は新型コロナウイルスの流行もあり、家で特に何をするでもなく完全に寝正月でした。寝正月で身体がなまりに鈍っているので明日からが不安でしかありません。
そういえば、箱根駅伝をのんびり見たのも初めてかもしれません。駒澤大学総合優勝おめでとうございます!
さて、前置きが長くなってしまいましたが、福井旅ブログの続きです。今日のブログを含めてあと4回を予定しているのでもう暫しお付き合いください。
天空の城 越前大野城
日本の“天空の城”といえば私の場合地元にある備中松山城が一番に頭に浮かびますが、他にも竹田城、そしてテレビで見ていて天守閣があるけれど備中松山城ではない方というイメージの越前大野城が思い浮かびます。
今回はその越前大野城に行ってきました。
お城は山の上にあるので離れた場所からでもすぐに見つけることは出来たのですが、バスを降りた場所が悪かったらしく登り口が分からないという罠…。
お城の閉館時間も徐々に迫っていたので焦りましたが、なんとか登り口を見つけて既に棒の様になっている足をむち打って先を急ぎました。
山の上にあるので緩やかとはいえ坂道を駆け足で登っていきます。
備中松山城の場合、本当に山道なのであそこに登るのと比べると易しい。感覚的には京都の建勲神社さんの少し距離が長いバージョンという感じかな。建勲神社さんに行ったことがないという方、こちらも織田信長を祀る神社なのでぜひ行ってみてください。
と、頭の中で織田信長関連比較をしていると思っていたよりあっさり登れました。
天守閣はもうすぐです。とりあえずまずは天守閣に入ることを最優先しました。
天守閣
手前にあるのが大天守で奥に見えるのが小天守です。天正三年(1575年)に織田信長の家臣である金森長近によって築城されました。
天守は江戸時代に一度消失して再建されたものの、明治になって取り壊されてしまいました。今建っているものは昭和に絵図や同時期のお城を参考にして鉄筋コンクリートで建てられたものです。
石垣は恐らく築城の当初のものなのかな。石が綺麗に切って形を整えられたものではなく、野面積みと呼ばれるものでした。
日本のお城の中でも少し古いお城のスタイルですね。
思ったより早く到着できて、中の展示物をゆっくり見ながら展望台へ。
山の上で、周囲に高い建物もないおかげで天守自体はあまり大きなものではありませんでしたが、良い景色でした。
早朝に行って運が良ければ雲海のなかの越前大野城を見ることができると思うと滾りますね…。
こうしてみると、四方山に囲まれていますね。今頃はこの辺りも雪化粧で真っ白になっているのでしょうか。
それも見てみたい気がしますが、冬期は確か天守閣お休みになってしまうのですよね…。
そうそう、天守の一番上にはこんなイケメン武将がいました。
本当にどこに行ってもイケメンがいる目に優しい世界…。
お城スタンプ&お城印
天守閣の出入り口でお城スタンプとお城印をいただけました。
まずは続日本100名城のスタンプ。
この旅で早くも続日本100名城のスタンプを2つめゲット!!
まだまだ日本100名城のスタンプも少ししか集められていないというのに…。どちらもぼちぼち集めていきます。
お城印は3種類ありました。
3種類とも欲しいとお願いすると、スタッフの方が「最近人気だねー」と少し驚かれていたので、色々なところのお城印が載った本で見て、越前大野城さんのお城印はとてもオシャレで印象的でしたよとお伝えしておきました。
私がぜひここに来たかったのもそれがきっかけだったりします。笑
最後に築城主の金森長近にご挨拶してお城を後にしました。
越前おおの結ステーション
あの時計台見たことあるー!!と、越前大野城の天守閣から密かにロックオンしてやって来ました。笑
ここは観光案内やお土産ショップ、休憩所などがある大野市の観光拠点のようです。
流石観光の拠点。
この辺りの歴史情報や観光情報などが沢山展示してありました。
行ったばかりの越前大野城の説明書きも。
本当はこういう所に最初に訪れて情報収集してから観光するのが一番良いのでしょうが…ついつい目的地に一目散してしまいますね。
こちらは幕末の藩主隠居所を移築されたもので、今では休憩所として使われています。
つまり、自由に入って見学することができるという何とも太っ腹な休憩所なのです。
ここのお土産ショップでアンケートを書くとポスターがもらえるということで書いてきました。
思っていたより大きなガチのポスターがいただけました。雲海の越前大野城!!
今、部屋に飾って愛でております。ありがとうございます。
ちなみにこの写真を撮るには条件が揃った10月~4月の朝、特に11月が良いそうで、撮影スポットは戌山城址。お城からお城を撮るって面白いですよね。
城主も愛した大野の名水
この辺りは水が美味しいようで、町の中にこんな感じでお水が飲める場所がありました。
特にここが有名なのかな?
『御清水』と書いて“おしょうず”と読むみたいです。
大野の名水が飲める湧き水スポットで、昔はここの上流の方では米とぎに、下流の方は洗濯まどに使われていたそうです。
私も一口…。冷たかったけれど、持ち歩いていたミネラルウォーターよりもまろやかな気がしました。
朝倉義景墓所で戦国武将の最期に思いを馳せる
この日ラストは朝倉義景のお墓参りでした。
バス停で一応時間を確認し、バスが来るまで約30分…よし行ける!!と大急ぎで道の脇にあった看板を頼りに進みました。
一乗谷の朝倉館でもお参りしたからこの日2度目。1日で同一人物のお墓2カ所に参ったのはこれが初めてではなかろうか…。
何故ここにも朝倉義景のお墓があるのかと言いますと、天正元年(1573年)に織田信長の攻撃を受けて一乗谷から逃れた朝倉義景は従兄弟の朝倉景鏡を頼って今の大野市にやって来るのですが、その景鏡の反逆にあい、六坊賢松寺で自害したと言われているからだそうです。
それにしても、私はこの日丁度一乗谷からバスに揺られてここまでやって来た訳ですが、結構な道のりのうえに山道をずっと走っていた記憶があります。自分でもよくもまぁ初めての土地で帰りのバスの時間もまともに確認せず乗り込んだなと思うくらいに。
あれを恐らく馬で走ってきたのかと思うと執念ですね…。そしてやっと逃れたと思ったら最期は身内の裏切りで…なんとも切ない最期です。
今は公園として整備されているようで、休憩所のようなものもありましたが、私はバスがギリギリだったのでここで引き返しました。
バス停に戻る途中で、朝倉義景が自害したという六坊賢松寺の跡地といわれている場所に建っている曹源寺さんを発見しました。
朝倉義景のお墓のすぐそばにあったので、すぐ見つけられるかと思いますが、名前が六坊賢松寺ではないのでお気を付けて!!
夕飯は名物の越前そば!!
ギリギリでバスに間に合い、福井市内に帰ってきたこの日の夕飯は、越前そばにしました。
折角の旅先なので名物を楽しみました。
この日行ったのは福井駅近くの『福そば』さん。
そば食べたいなぁと調べていたら食べログで★が3.55もあったので即決。
実際行ってみると、ホテルからも歩いて結構近かったですし、店内も雰囲気が良くて大正解でした。
今回は【名物】と書かれていたお市そばを注文してみました。
なんと、5種類の味が楽しめるのです。
小エビ天・とろろ・おろし・明太子・納豆というお蕎麦に合わせてオーソドックスなものから変わり種まで。
色々な味でどれも美味しくて、少しずつだから味に飽きることもなく、そばは弾力があってとっても良かったです。
意外と納豆がよく合っていてお気に入りでした。
他のメニューも気になるものばかりだったので、もし福井に再来する機会があればまた立ち寄りたいお店さんでした。
ようやく福井旅2日目を書き終えられました。いよいよ次回から3日目。ラストデーです。
3日目はまたまたお城に行ったり明智光秀ゆかりの場所を訪れたり、福井の観光名所に行ったり幕末史跡を求めて歩き回ったり…。まぁよく動き回りました。
次回も見ていただけると嬉しいです。では