ずっと前に完結した短編ですが、解説していませんでした。
しようと思いつつすっかり忘れていたというのが正直なところです・・・。
この話はとっても短い思いつきの短編小説だったのですが、少し語ってみようと思います。
『島田魁の夢幻』
E★エブリスタ
まずはこの作品の主人公である、島田魁について簡単に。
下の写真の方が見慣れているでしょうか。
因みに真ん中が島田魁です。
文政十一年一月十五日(1828年2月29日)~明治三十年(1900年)三月二十日
美濃国方県群雄総村生まれ。
心形刀流剣術の使い手。
浪士組が京へ上洛したのがこの年の二月二十三日なので、かなり早い時期から在籍していたことが分かります。
あの有名な池田屋事件には事前の探索、そして当日は土方隊として出動。
新選組での役職としては諸士取調役謙監察・伍長を務めました。
巨漢で相当な甘党だったらしく、逸話も残っています。
砂糖でどろどろのお汁粉を大鍋一杯平らげていたというのは有名な話。
力も強く、小林桂之助を絞殺したと言われています。
御陵衛士の残党に近藤勇が襲撃された際は島田も同行しており、馬上で狙撃された近藤の馬を走らせたのは彼でした。
近藤の命の恩人です。
鳥羽・伏見の戦いで火ぶたをきった戊辰戦争では次第に隊士たちが離れていく中、最後の地・箱館まで戦い続け、弁天台場で降伏。
初戦となった鳥羽・伏見の戦いでは永倉新八と決死隊として敵陣に乗り込むも、激しい銃撃に撤退しました。
降伏後は名古屋藩に預けられたものの、明治二年六月に放免。
それからは同志の慰霊に尽力したり、『英名録』『島田魁日記』といった資料を遺したりと、新選組の為に尽くしました。
今、京都にある霊山歴史館で沢山の新選組史料を見ることが出来るのは彼のおかげです。
放免後、京に戻り剣術道場の経営を経て明治十九年からは一時期新選組の屯所として間借りをしていた西本願寺の夜間守衛を務めています。
レモネード屋や雑貨屋も開いたそうですが、流行らなかったそうです。
どんなお店だったのか気になって仕方がありません。
維新後、士官の話や榎本武揚の面会申し入れを断った一徹な人物。
そんな所が近藤や土方、新選組の隊士たちの信頼を得たのだと思います。
最期は小説に書いたように西本願寺の見回り中に倒れ、そのまま亡くなりました。
結局、良くも悪くも一番長い間『新選組』に関わり続け、囚われ続けたのは彼だと思います。
それだけ大切な場所だったのでしょう。
人生を捧げられる、そんなものがある人が世の中にどれだけいるのか。そう考えると、島田魁が羨ましくて仕方がありません。
そして、彼の人生は幸せだったと思いたいものです。
時を経ても、亡くなった後は新選組の面々と再会を果たしているのではないかな、そうであって欲しいな。
それだけの想いで書いた作品でした。
解説など必要ありませんね。
その想いと史実を織り交ぜただけの作品です。
新選組が好きな人も、戊辰戦争が終わって以降の彼らを知らない人は少なくないのではないか。
沢山の生き残った新選組関係者がいて、それぞれに戦争後も人生が続いていたのに、そこは中々ピックアップされることがない。
でも、私が好きなエピソードは島田魁に関しては新選組在籍時よりもその後。
彼の最期の最期、小説に書いた辺りの事です。
少しでも知って欲しかった。
実はもっとしっかりと書き込んでちゃんとした短編にしたかったのですが、今はこれで満足です。
いつか自信を持って書けるときが来たらリメイクしよう。私の中ではそんな作品。
下手をしたらこのブログ記事の方が長いかもしれませんね(笑)
ここまでお付き合いありがとうございました。
次はきっと『花の一夢』第三章の解説を!!