令和2年になって一週間。早速風邪を引きました…。
寒い日が続いておりますし、インフルエンザも猛威を振るっていると聞くので皆様もお気をつけて!!
さて、前回の続きです。
やっとブログで年が越せそうです。
令和元年最後の新選組巡りへ
紅白歌合戦で去年のレコード大賞『パプリカ』が歌われているころ、私は最後のあれをすべく歩き始めていました。
そう、見出しにもなっている新選組巡りです。
と、言っても洛中の屯所になった場所を歩いただけなんですけどね。
そういえば一度も登ったことのない京都タワーを見ながら京都駅からスタートです。
なんというか、登るタイミングが分からない…。と、いうのと元京都府民だから…?関係ないか…。笑
まず向かったのはこちら。
新選組が洛中で最後の屯所とした場所は今は影も形もないので、こういった形で当時を偲んでいるのですよね。
正確な場所は分からないけれど、2つの石碑のちょうど真ん中辺りだからこの辺りにあったのかな?なんて。
新選組は慶応3年(1867年)に屯所を葛野郡不動堂村に新築して、それまで屯所としていた西本願寺集会所から居を移しました。当時は立派な武家屋敷のようなものが建っていたとかいなかったとか…という話はあるものの、正確な位置は明らかになっていません。
この提灯見るたびに欲しいなぁ…と思ってしまうんですよね。
と、言いつつ私の部屋は和風ではないので、部屋にあると絶対に浮く…。笑
年が明けて慶応4年1月3日には戊辰戦争最初の戦いである、鳥羽・伏見の戦いが始まっているので、この屯所で暮らしたのは本当に短い間でした。
そりゃ幻にもなるわけだ…。
ここでは第4日曜日のみ御朱印をいただけますので、機会があれば是非。
こちらはハトヤ瑞鳳閣さんにあるもの。
何年か前に改装工事を行っていて、その際に石碑が見えなくなったことがあり、これを機に石碑がなくなるなんてこと…ないよね…?なんてやきもきした時もありましたが、今でも有り難いことに見ることができます。
こちらはリーガロイヤルホテルさんにあるもの。
以前、私がまだ京都在住だった頃に友達が遊びに来て、一緒にこちらに泊まったことがあります。サプライズでバースデーケーキを用意してくれてお祝いしてもらったのは良い思い出です…。
2番目の屯所、西本願寺さんの太鼓楼。
新選組が屯所としていた西本願寺さんの北集会所は今では姫路にある亀山本徳寺さんの本堂として訪れることができます。
新選組がつけたという刀傷があったり、ここで新選組の隊士さんたちが寝泊まりしたのか~と妄想が膨らむので大好きな場所です。
姫路城に行かれた際には是非足を伸ばして欲しい場所です。
もちろん西本願寺さんもステキな場所で、私は秋のイチョウが綺麗に色付いた頃が一番好きです。
と、ここまで歩いて一番有名なあの場所へ行くにはまだ時間が早かったので、友達の家で紅白を見て過ごしました。笑
菅田将暉くんを見てからこの日のメインイベントへと出かけました。
新選組といえばここ!!壬生寺さんでハッピーニューイヤー!!
ちゃんと忘れていませんよ、壬生寺さん!!この日は壬生寺さんに始まり、壬生寺さんに終わりました。
私たちが着いたのは11時半頃。まだ人もまばらだったため、余裕をぶっこいて暢気に本堂にお参りしていたら…
あっという間に大行列になっていました!!!
慌てて列に加わりました。
除夜の鐘を鳴らすことも目的ですが、約300杯限定の甘酒を是非飲みたかったので友達と足りるかな?と除夜の鐘が鳴り始めるまで必死で前に並んでいる人の数を数えていました。煩悩だらけです。笑
無事除夜の鐘もつけて甘酒もいただけました。
こんな風に長い紐を大勢で持ってつくので、私が鳴らすまでに10回も鳴ったかな?くらいでした。
ちなみに写真は私が鐘をついている所を友達が動画で撮ってくれていてそこからスクショしたので粗めです。
ついた人から順にいただける甘酒も無事ゲットできました!!あれ、煩悩が落とせていない…。今年も煩悩だらけで生きていくことになりそうです。
そんなことをしていたら、至る所から「あけましておめでとう」の声が。
ちょうど本堂横でおみくじを引いていたので年越しの壬生寺の様子を。
大好きな人たち縁の大好きな場所で、大好きな友達と年越しが出来てとても幸せなスタートをきることができました。
一通りお参りをし、私たちが壬生寺をあとにした時にも除夜の鐘の列に並ぶ人は増え続けていて、鐘も鳴り続けていました。
こんなに壬生寺が人でごった返しているのを見るのは節分以来かな。
年始限定のステキな御朱印もいただきました。
これはいい年になるに違いない!!
一旦家に帰って寝てから元日は何カ所か初詣と特別御朱印をいただきにまわったので、次回はそのお話を書こうと思います。