歴史好き女子めぐるの『おでかけ日和』

史跡や歴史的建造物、寺社仏閣をメインに旅している歴史好き系カメラ女子のブログです。はてなブログ2019.10.14~

豊臣家ゆかりのお寺さんを行く

今日は『新選組の日』でしたね!!
誕生日やイベントごとを忘れてもこの日は忘れませんよ~!!
 
 
さて、今回書くのは豊臣家所縁のお寺さん2ヶ所です。
 
 
まずは瑞泉寺さん。
三条大橋から少しだけ下がった辺り、先斗町通りと木屋町通りの丁度間あたりにありました。
入り口は木屋町通り方面かな。
 
 
 
 
 

ここは豊臣秀吉の甥・豊臣秀次とその一族を弔うために建立されたそうです。

秀次は秀吉の養子となって豊臣家を継いだものの淀殿が秀頼を生んだことで次第に秀吉からと疎ましく思われ、石田三成らの策謀もあって高野山へ追放、文禄4年7月15日には切腹をさせられました。
更に同じ年の8月2日には秀次の子どもや側室など女性一族39人がここ、三条大橋西南の当時は鴨川の河原だった場所で公開処刑され、その場に埋められたそうです。
それから16年後にこの瑞泉寺さんが建立されたとお寺にあった資料に書かれていました。
一昨年映画化していた『関ヶ原』がまさにこの女性一族の処刑シーンからではなかったかな!?
 
 
 

御朱印は書き置きで、お賽銭箱に御朱印のお納め料を入れて日付の判子を自分で押すという初めてのスタイルでした。

版画デザインの可愛らしい御朱印でしたよ。
 
 
 
次の目的地へ。
実は次のお寺さんに向かう前に二年坂にあるおうすの里さんでお気に入りの梅干しと梅昆布茶を購入していました。
写真は全く関係なく歩いていた時に見つけた可愛らしい看板です。
 
 
そんな寄り道を経て目的地へ。
養源院さんです。
豊臣秀吉の側室である淀殿が父の浅井長政を弔うために建立しましたが程なくして焼失。
淀殿の妹のお江さんが伏見城の遺構である血天井などを用いて再建したのが今の姿だそうです。
拝観は全て団体行動で説明付きというこれまた新しいスタイルでした。
俵屋宗達の絵が唐獅子や白象、麒麟図などこれでもかとたくさんあり、一つ一つ説明してくれたのでどういった意図でここに描かれたのか、今は開閉できない襖も、当時は人が訪れた時、襖を開くとどのように見えていたかなど聞いていてとても面白かったです!!
聞かないと分からないことだらけだったので説明付きはとても有り難かったですし、説明してくれたご住職の奥様がとても面白い方でファンになりました。
 
 
血天井の説明もあり…ほかのお寺さんで血天井自体は見たことがあったのですが、伏見城の廊下と同じ幅で天井になっているのはこのお寺さんだけとのことです。
それと、手形や足型は自分で見ても分かったのですが、切腹して倒れた人の姿がくっきりと全身残っているのは初めて見ました…。
ちょんまげ部分から頭、胴体、腕、刀、足の位置までどのような姿勢で亡くなったのか分かるくらいはっきりと残っていました。
最後に切腹をした人だから首がついたまま倒れた姿が残っているのだそうです。
これが数百年前のものとは思えませんでした。
最近の出来事!?と思ってしまうくらいだったのに、ここでちゃんと弔われているからか、不思議と怖いという感情はありませんでした。
 
 

御朱印は拝観料を払う時に一緒にいただきました。

 
 
そうそう、拝観するとチケットの代わりにここにある俵屋宗達の絵のポストカードがいただけました。
私のは入ってすぐにお出迎えしてくれた唐獅子でした。
京都の郵便局に行けばここの絵がデザインされた切手もあるそうですよ。
今度買いに行かなくちゃ!!