歴史好き女子めぐるの『おでかけ日和』

史跡や歴史的建造物、寺社仏閣をメインに旅している歴史好き系カメラ女子のブログです。はてなブログ2019.10.14~

【第2回】中山道を歩く⑦【山科〜瀬田唐橋】

今年も色々あったなぁ・・・楽しかったなぁ・・・と1年の振り返りを始めたら、友達から「お前の本番これからやん?」と言われました。確かに。笑
そんな感じで今日もゆるーく生きております。
 
 
今回は、逢坂の関の時の様に、1つの場所だけを紹介します。
 
 
まずは山門をくぐって中へ・・・。
『義仲寺(ぎちゅうじ)』さんです。
ここでは住職さんが説明をしてくれました。
寿永3年(1184年)、宇治川瀬田川の合戦で源範頼(のりより)と源義経兄弟の軍に敗れ、粟津が原で討ち死にしたという木曾義仲が葬られたところで、お寺の名前はそこに由来しています。
江戸時代には俳人松尾芭蕉が定宿として度々ここを訪れていて、本人の望みでお墓もここにあるという、とても深い縁のある場所です。
 
 

境内には芭蕉の花も咲いていました。

松尾芭蕉の雅号の由来!!

初めて見ました。
なんだか花の根元辺りがバナナに似ていますね。
英語では『ジャパニーズバナナ』と呼ばれているそうですよ。
芭蕉の花は5年に1度しか咲かないそうで、ガクがめくれてめくれて下へと徐々に伸びて行き・・・花が咲いて実が出来たら死んで倒木してしまうので、切り倒すそうです。
なんとも貴重なものが見られました。
 
 

義仲寺の本堂である朝日堂で手を合わせ・・・

 

 

巴塚で手を合わせ・・・

木曾義仲の側室・巴御前のお墓です。
武勇に優れた美女で、武将として義仲を助けたと伝わっているそうです。
 
 
義仲公墓にも手を合わせ・・・
松尾芭蕉は『木曾塚』と言ったそうです。
毎年1月の第3土曜日に『義仲忌』を執り行うのだとか。
 

 

芭蕉翁の墓にも手を合わせました。

松尾芭蕉は元禄7年(1694年)10月12日に大坂の旅舎で亡くなりました。

そこから遺言に従って義仲寺に葬る為、門人達の手によってこちらに運ばれ、お墓は当時の場所のままだそうです。

 

 

翁堂

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丁度、すぐ側にある紅葉が色づき始めていました。

 

 

木魚を叩いて。

 

 

 

中はこんな感じで祀られています。

正面の祭壇にあるのが松尾芭蕉の座像です。その上にあるのは『正風宗師』の額でその左右にちらりと見えているのは36俳人の絵だそうです。
 

 

天井絵も素敵でした。

伊藤若冲が描いた『四季花卉』の図らしいです。
美術系にはかなーり疎い私でも知っている伊藤若冲!!
色がかなり褪せてしまっていますが、今でもとても綺麗な天井絵がそこにありました。
描かれた当時に見てみたかったなぁ・・・。
 
 

 

無名庵

松尾芭蕉が義仲寺に宿泊した際、利用したのがこの『無名庵』だそうです。
大坂で亡くなる、松尾芭蕉にとって最期の旅となった時にも膳所に入り、ここに泊まったのだとか。
 

 

出入り口はこちら。

入る事はできないので、外から。
とても雰囲気の良い、そして時代を感じられるお寺さんだったので、松尾芭蕉の句作にも良い影響を与えた場所なのでしょうね。
 

 

 

山門を出て、すぐの場所にある巴地蔵堂

巴御前を追福するものでらしいのですが、巴御前がとても長生きだったことから健康長寿を願う人、そして馬から落ちたことがない、勝負運の強い人という事から受験生に人気スポットだそうです。
あと1ヵ月少しでやってくる受験に向けて、受験生や周りに受験生がいる方は是非。
私も従妹が今年大学受験なので、合格祈願をしてきました。
 
 
この後は膳所城があった辺りを歩いていきます。
その話はまた次回。