前回の京都めぐりで最後に行った場所はこの3つのお寺。
タイトルにはこれらのお寺を表すキーワードを書いてみましたが分かりましたか?
吉野太夫→常照寺
窓→源光庵
職人さん→光悦寺
でした。
まずは吉野太夫縁の常照寺へ。
二代目吉野太夫が寄進したと伝わる山門。
その名も『吉野門』。
お墓にも参らせていただきまいたが、いつも通り写真は載せません・・・。
こちらも吉野太夫縁の茶室『遺芳庵』。
本堂の中も拝観することが出来ました。
丁度私が行った時には他に見学の方もおられず、思わず居座りそうになりましたが、次の予定があったので足早に見て回って次の場所へ。
桜や紅葉の季節はとても綺麗らしいので、もう一度是非来たい場所でした。
毎年4月の第2日曜日に行われるという吉野太夫花供養というのも気になります。
常照寺さんの御朱印はこちら。
お次は窓の源光庵。
丸い『悟りの窓』と四角い『迷いの窓』はあまりにも有名ですよね。
早速私も中に入って見てきました。
迷いの窓
悟りの窓。
皆さんどちらの窓に魅入られてしまいますか?
実は私・・・今思えば『迷いの窓』の前に長い間居た気がします・・・。
いつだってやりたい事が沢山で迷走している私なので、やっぱりどこかで魅かれるものがあるのかもしれませんね。
そして、ここではもう一つ有名なものが。
苦手な方ももしかしたらいるかもしれないので、写真は載せませんが『血天井』です。
伏見城から移築されたもので、徳川方の鳥居元忠らが石田光成に敗れて自害した際に付いたものです。
元は床の為、足型もくっきりと残っていました。
何百年も前のものなのに、そして、こういった場所や歴史館で見る遺品で見慣れている方なはずなのに、こうして目の前に突き付けられるとゾワッと背筋を走っていくものがありました。
源光庵さんの御朱印はこちら。
最後は職人さんの光悦寺。
素敵なお庭が広がっていました。
何故このお寺を『職人さん』と表現したかといいますと、昔、この辺りは辻斬りや追剥ぎが多く出没する物騒な所だったそうです。
そんな場所を徳川家康から与えられた本阿弥光悦の一族や工芸の職人さんたちが移り住んでこの辺りは芸術の集落になりました。
光悦の死後にその屋敷が光悦寺となったという歴史があるからです。
光悦さんの墓碑も境内にありました。
そして、こんな素敵な茶室が至る所に点在していました。
数えてはいなかったのですが、その数7だそうです。
大正時代以降の建物ではありますが、全てにちゃんと名前も付いていました。
写真は本阿弥庵です。
光悦寺さんの御朱印はこちら。
駆け足でしたが、前回の京都旅で行った場所、全て載せることが出来ました。
この週末はちゃんとカメラのバッテリーを忘れずに持って行って少しでも綺麗な写真で紹介できたら良いなぁ・・・。
その前に、京都旅は終わりですが、まだまだ去年の溜め込んだ旅ログが書けていないので、もうしばしお付き合いくださいませ。