歴史好き女子の『おでかけ日和』

史跡や歴史的建造物、寺社仏閣をメインに旅している歴史好き系カメラ女子のブログです。はてなブログ2019.10.14~

坂の上の雲ミュージアム

松山に行ったら必ず行こうと思っていた場所。

それが『坂の上の雲ミュージアム』です。

 

http://www.sakanouenokumomuseum.jp/

 

 

松山城の麓というとても分かりやすい場所にありました。

 

 

門も古い感じでおしゃれ。

萬翠荘(ばんすいそう)』という建物もあるらしい・・・。

と思いつつ何気なく見上げたら・・・

 

 

建物の上の方がちらっと。

なんだか素敵な建物。

こちらにも行かねば、と思いつつとりあえず目的の坂の上の雲ミュージアムへ。

 

 

坂の上の雲ミュージアムは名前の通り、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』をもとにしていて、この作品の主人公で松山出身の正岡子規秋山好古秋山真之を中心に当時の様子(だいたい明治維新から日露戦争あたりまで)や彼らの書簡、司馬遼太郎の書簡などが展示されていました。

時代に沿って、小説の一部を書き添えて展示がされていたので、『坂の上の雲』の小説やドラマなどを見ていない人でもじっくり見れるつくりになっていたと思います。

日本はこの時期、文明開化を遂げ、戦でも勝って勝っての時期。「これほど楽天的な時代はない」と司馬さんが言ったのも頷けるなぁ、なんて展示を見ていて思ってしまいました。

幕末が激動の時代などと言われますが、明治に入ってからの方が真の激動の時代だったりしますよね。

面白い時代でもある。けれど、その裏で何人の人が亡くなって・・・と、つい戦が絡むと考えてしまいます。

それに、後々日本が向かって行く先は・・・と思うと・・・ね。

 

 

司馬さん司馬さん!!と入っていって出る時は色々と考えさせられてとっても真顔だったと思います。

 

 

と、いいつつとっても笑顔な写真も。笑

写真スポットがあったので、撮ってもらいました。

ここで写真を撮ると、記念に手に持っている切符の小さいバージョン(本当の切符くらいの大きさ)の物をいただけるのですが、なんと、ダッフィーくんも写ったからということで、2枚いただいてしまいました。

ありがとうございます。

 

 

それと、建物が安藤忠雄さんの設計で、とってもお洒落でした。

 

 

今は『好古・真之・子規-明治20年代初頭』という企画展も開催中でしたよ。

概要は、明治政府は、1889(明治22)年に大日本帝国憲法を発布、翌年には帝国議会を開設しました。近代日本において、国際社会に対応するための立憲国家としての体制がようやく確立します。明治維新以降進行した文明開化の波は、地方社会にも広がりをみせ、人びとの生活も大きく変化していきました。このころ、秋山好古・真之、正岡子規の3人の主人公たちもそれぞれの道で転機を迎えます。

秋山好古は、明治20年に旧藩主家の久松定謨の補佐役を命じられフランスに留学、騎兵研究に励み陸軍の発展に貢献しました。秋山真之は、明治23年海軍兵学校を首席で卒業し、軍人としての道を歩みはじめます。正岡子規は、第一高等中学校在学中の明治22年、肺病を患い喀血したことを契機に「子規」と号し、文学の道を志すようになりました。

今回の展示では、明治20年代初頭の好古・真之・子規の動向を取り上げながら、その後の彼らの人生を展望します。(『坂の上の雲ミュージアムホームページ』より)

 

 

そしてもう一つ。

『子規・漱石生誕150年記念 特別展示「松山と漱石」』も開催中でなんとも嬉しい盛り沢山でした。

大政奉還坂本龍馬が亡くなったのと同じ年・・・慶応三年は・・・いや、も?いろいろとあった年だなぁとここで気が付かされました。