今週は頑張って毎日ブログ更新出来るかな!?なんて思っていましたが気がつけばもう木曜日。
今回は日本一有名な陰陽師縁の地の話です。
そう、安倍晴明。
安倍晴明といえば、京都の一条戻橋の辺りにある晴明神社が有名ですよね。
ですが・・・あるのです、私の住む岡山県にも彼の縁の地が!!
昨シーズン、フィギュアスケートの羽生結弦選手のフリープログラムが『SEIMEI』だったことから若干陰陽師熱が再燃しております。
とっても山奥・・・。
車がやっと一台通れる山道を暫く走っていると見えてきました・・・。
安倍晴明ゆかりの地への入り口が。
いやいやいや!!これ歩けるの!?
奥に木が倒れてるのが見えてるんですけど!?
と、心折れそうになったのでもう少し車を進めてみました。
よかった・・・。普通に歩けそうな道があった。
少し離れた所では畑仕事に勤しむおじさんの姿がありました。
ただ、ゆかりの地への道は見ての通り両側に木が茂っていました。
たまにカサカサ・・・と生き物が動く音が。
一人で行く場所ではありませんでした。
警戒態勢MAXで進みました・・・。
ありました!!
この場所で安倍晴明が天体観測をしていたと伝えられているのです。
その為、この山は『阿部山』と呼ばれています。
この写真の祠は『晴明大権現のほこら』と言われており、祀られた時代は不詳。
江戸時代には信仰の対象だったそうです。
この辺りに安倍の晴明の屋敷があり、天体観測をしていたと・・・。
今でも近くの山に国立の天文台があるはずですし、昔から天体観測をするには良い場所だったのかもしれませんね。
なにせ中々の山奥で、車で来られる現代でも結構道のりは険しかったですから。
特別な理由がなければわざわざこんな所に来て屋敷を建てて・・・なんてしないはずです。
『阿部神社』です。
昭和17年に創建されたそうです。
この地が『安倍晴明天体観測の地』として伝わっており、鎮守を建立するにはこの地がふさわしいという事から現在の位置に建てられたと説明板に書いてありました。
通称は『晴明神社』らしいです。
最初に見つけた道を登って来るとこんな風に見えてくるみたいです。
あの道を一人で歩く勇気は私にはありませんでした。
因みに京都の晴明神社。
ここ位行きやすい場所にあれば・・・なんて思ったりもしましたが、なかなか行けないからこそのプレミアム感というか、ほとんど人の気配がしない厳かな感じというか・・・そんな雰囲気が岡山の『阿部神社』にはあって、『陰陽師』という不思議な存在の現実味を増してくれている気がしました。
また少し歩いて見えてきたのは『安倍晴明の碑』。
カサカサ音がするので写真を撮って逃げるように帰って来ました。
帰りに通りがかった『滑石(なめらいわ)の石文』。
この石文は、寛政10年(1798年)3月に西山拙斎が子弟8人とこの地に清遊したおり、即席に題名をこの岩に墨書きした。その文を流れに消されるのを惜しんで同行の伊沢石介が書きとめていたものを、拙斎没後25年目に次子謹(復軒)に頼んでこの文を書き直し彫刻したものである。
それは「寛政戌午重三(三月三日)ここに禊飲す。同遊の者八人、随軒笛を吹き三蔵筆篥にて之に和す。時巳に晡晩にしてついに山を下りる」と記されてあり、「是れ先子(亡父)拙斎先生の題名なり・・・」と復軒が添え書きしている。【立て看板より】
見やすいようにコントラストをだいぶ付けたのですが、写真ではやっぱり分かりにくいですね。
実際に見ると、言われなければ気付けませんが、知っていて見るとはっきりと文字が書いてあるのが分かりました。
岡山もまだまだ興味深い所が沢山ありますね!!
ブログ記事にコメントありがとうございます。
読ませていただいているのですが、明日も仕事でそろそろ力尽きそうなので後日お返事させて下さい。