ただ今、京都の友達の家に滞在中。
今日は充実しすぎていて、いや、内容を詰め込みすぎていて昨日仕事をしていたのが嘘のように遥か昔に感じます。笑
今回のブログは独り言のような内容です。
あまりに私と友達には衝撃だったので、ぽつりと呟くように、でもツイッターではあまりに文字数が少ないのでブログに書き綴りたいと思います。
すぐに今日のダイジェストブログをアップするので、基本的にはそちらをお楽しみください。
つい先ほど。
友達の家に荷物を置かせてもらって、遅めのご飯を・・・というか行きつけだったお店に呑みに行き、その帰りのこと。
共通の知り合いで、今は山にこもって修行中というなかなか面白いけれどあの人は今!?状態の友達の家もかつて壬生界隈にあり、何度も遊びに行っていた。
この辺だったよねーなんて言いながら近くを通ったので懐かしくなり、外観だけでも見に行こうと向かったのだけれど・・・。
ない。
確かに分かり辛い場所にはあった。けれど、私たちが場所を間違えたわけではない。
狭い入り組んだ道を入った場所にある為、初めての人ならば辿りつけないであろうアパートだったけれど、私たちは何度も行っているのだ。
おまけに、2・3年経っているとはいえ、一度見たら絶対に忘れられない目印がある。そこを曲がって歩いていれば見えてくるはずだった。
ところが、二・三度往復してみてもないのだ。
あの建物はいったい・・・?壬生寺の近くを夜歩かれたことのある人は知っていると思うけれど、あの辺りは壬生川通りや四条通りはともかくとして、暗い。
そんな場所にあって、少々不思議な雰囲気の建物ではあった。
そう思わせていたのは一階に仕事部屋を構えていた大家さんの存在が大きいだろう。
どんなに夜遅く行っても明かりが点いていた一階。そしてなにやら作業をする大家さん。手元は見えないから何をしていたのかは知らないけれど、唯一見たことのある左側からの横顔はなんとなく『耳をすませば』に出てくる地球屋の主人を思わせた。
あの大家さんはいったいどこに・・・?
何度か「あれ?おかしいな?」などと言いつつ往復を繰り返して気が付いた。
かつては入り組んだイメージしかなかったあの通りの一カ所だけ見通しが良くなっていることに。大きな道が見え、明るくなっていることに。
ただ、不思議なのは暗いせいもあったかも知れないけれど、その場所がそれこそ2、3年のうちにそうなったよな新しさを感じなかったこと。
まさにタイトル通り『狐につままれた様な』という気分である。