歴史好き女子めぐるの『おでかけ日和』

史跡や歴史的建造物、寺社仏閣をメインに旅している歴史好き系カメラ女子のブログです。はてなブログ2019.10.14~

東京旅①東京大学と斎藤一居住の地

 

昨日、ブログを書く!!と意気込んでいたにも関わらず、写真の加工で力尽きてしまっていました。

やっとこの前の三連休に行った東京旅編です。

 

 

今回、東京に住んでいる妹にかなりお世話になりました。

家に荷物を置いて、まず向かったのはこちら。

東京大学農学部がある弥生キャンパスに出来たハチ公と上野英三郎博士の銅像

この銅像が設置されたとニュースで目にした時から来たかったのです。

2015年3月8日に除幕式が行われたと記憶しているので、もう2年が経とうとしているのですね。(こういう記憶力だけは自信あります 笑 )

再会を喜ぶ一人と一匹の表情に泣きそうになりました。

 

 

弥生キャンパスの横の通りを歩いていて見つけた石碑。

弥生土器発掘ゆかりの地』らしいです。

知りませんでした!!

この辺りで初めて発見されたから地名に由来して『弥生土器』という名前になったのでしょうか?

 

 

私がこの石碑の前を通って向かっていた目的地の一つはこちらです。

 

『はん亭』さんです。

大正初期に建てられた木造三階建ての建物で、始めは下駄の瓜皮屋だったらしいです。

それが独身寮となり、更には不忍通りの道路拡張工事に伴い、道路に面した建物部分が削られ、改修工事を行って昭和51年、今の『はん亭』という屋号を掲げて飲食店になったとか。

今では登録有形文化財に指定されていますが、現役で営業されているようです。

 

こういう建物に目がないので是非見てみたかったのです。

ちょうどお昼時でもあったのですが、他に入りたいお店の目星をつけていたので、今回は外観だけを楽しみました。

次は是非ここで内装も楽しみながら料理に舌鼓を打ちたいものです。

 

 

もう一つの目的地はこちら。

 

住所の方が分かりやすいかもしれませんね。

新選組斎藤一(この頃には藤田五郎さんですね)が、住んでいた場所です。

実はここではなく、根津2丁目6か7辺りという話をどこかで目にしたのですが、今回はあえて目を瞑りました。←こら

大雑把にいうとこの辺りということで。

西南戦争から帰還した頃、家族と暮らしていました。

当時の住所は『根津宮永町31番地』で、少し前までは今の住所に当てはめるとここだと言われていたのかな。

今は老人ホームになっていました。

 

 

その横にあった石蔵。

現在は釜竹といううどん屋さんになっています。

ここでお昼をいただきました。

 

 

入ってすぐの大きな机で大勢の方と相席だったので、内装は撮れませんでしたが振り返ると中庭が。

とても雰囲気の良い歴史を感じられる落ち着いた建物でした。

 

限定10食の胡麻豆腐。

11時半開店で、私たちが入ったのは開店からたった5分程経過した頃だったにも関わらず、ギリギリ待たずに入れた状態だったのでもう売り切れているかな?と、ドキドキしながら注文してみましたが、あってラッキーでした!!

始めて食べるお豆腐の触感でした。

もっちもちで弾力があって、お豆腐というよりもババロアに近い感じなのかな?

そして、こんなに胡麻の味がしっかりしていて、いくらでも食べたいと思える胡麻豆腐は初めてでした!!

妹と思わずニンマリ。

私は山葵が食べられないので横に除けてしまいましたが、妹曰く、「山葵を付けて食べるの最高!!」だそうです。

 

 

メインのうどん。

岡山県民の私はうどんには煩い性質なのです。

うどんに煩いのは香川県民だけではありませんよ!!

まずコシがないうどんは苦手です・・・。そして、基本的に関東の濃い色の汁では食べません。

そう、東京は濃い汁だという事を忘れていたのです!!

恐る恐る口にしましたが・・・あれ、美味しい。

関東のうどんはコシは兎も角、汁が醤油ーーー!!と主張しすぎて苦手なイメージがあったのですが、こちらのうどんは濃い醤油の味の中にもちゃんとお出汁が感じられました。

気付けばあっという間に完食。

そして外には寒さを堪えて待ってる人の行列が出来ていました。

納得の人気店!!

 

 

お店の方にもこの住所が取り付けられていました。

 

 

さて、腹ごしらえも済み、ここから少し移動したので今日はここまでにします。

続きはまた明日・・・書けるといいなぁ。