岡山駅前のイルミネーションが始まり、今年も桃太郎御一行が桃に閉じ込められていたり、映画撮影で生田斗真くんと広瀬すずちゃんが来ていて大騒ぎだったりと何かと元気な世間そっちのけで寒さに凍えている、どうも、めぐるです。
冬生まれだからといって決して寒さに強いわけではないのです。
さて、前回の続きです。
ふくやま美術館から移動して、鞆の浦へ。
いやぁ、毎度何だかんだで私の行きたい所につきあわせている友達には本当に申し訳ないと思いつつ・・・でも、行きたかったのです!!
まずは『龍馬談判の町屋』、旧魚屋萬蔵宅へ。
慶応三年、龍馬さんと海援隊を乗せたいろは丸は瀬戸内海を大坂に向けて航海中に紀州藩の明光丸と衝突し、大破。
明光丸に曳かれて鞆の浦に向かう途中、沈没しました。
この通称「いろは丸事件」の事故の賠償交渉を行ったのがここです。
因みに「いろは丸事件」は日本初の蒸気船同士の衝突事故であり、互いの航海日誌をもとに日本初の近代法による賠償交渉が行われた事件・・・だったと思います。
ステンドグラスがお洒落なとてもハイカラな建物でした。
なんとなく地元の倉敷美観地区を思わせる街並みでした。
ここで保命酒を称えるうたを残したらしいです。
私もお土産に保命酒買いました。
保命酒と鞆の浦サイダーとのど飴のセット。
立派な常夜灯。江戸時代からのものらしいです。
この明かりを頼りに当時の人達は航海していたのでしょうか。
思わず浪漫と妄想が・・・。
いろは丸展示館。
引き揚げられたいろは丸の一部や積荷、いろは丸事件の説明などが展示されていました。
沈没していたいろは丸が発見されたのは確か1989年の事。
勝手に縁を感じてしまいます。笑
展示館の二階にあった枡屋清右衛門宅の龍馬さんが滞在したという部屋を再現したもの。
最初向かいの展示パネルを見ていて気が付かなかったのでとっても驚きました!!
同じく驚いたというおばさまに笑いながら同調してもらいました(笑)
ここでこんなものを購入。
その枡屋清右衛門宅。当時の土間にあたるところかな?が、雑貨屋さんになっているのですが、当時の内観も見学することが出来ます。
この階段を登ると・・・
海援隊の皆様が!!
思わず一旦しゃがみこむ私・・・(笑)
まるで秘密の会議にでも参加した気分でした。
更に少し階段を登ったところが龍馬さんが滞在したという部屋。
龍馬さんが書いた書状の写しも置いてあったので龍馬さん気分で座ってみました。
調子に乗って書いている真似をしてみたり(笑)
写真が多くなってきたので省きますが、天井の一部を開けて梁が見えるようにしてくれていました。
これがまた立派で・・・!!
建築系の妹が帰ってきたら連れてきて見せたいと思います╭( ・ㅂ・)و
当時はこの階段から先程の部屋へと上がっていたそうです。
外を歩いていたらポニョを発見!!
そういえば、あの町のモデルって鞆の浦でしたっけ。
そう遠くはないのに中々こちらの方面には来ないのでとっても満喫しました。
付き合ってくれた友達には本当に感謝感謝です。
ここからまた移動してまた少し観光したのですが、その話はまた今度にしますヾ(。´・ェ・`。)