七夕の日に行った所の事をやっと書ける。
どうも、めぐるです。
城跡に行くとだけ言っていましたが、鬼ノ城に行っていました。
鬼ノ城は日本の古代山城の遺跡で、『日本書紀』には663年、白村江の戦いに敗れた倭国は、唐や新羅の侵攻に備えて西日本の要所12ヶ所に古代山城を築いたと記されており、鬼ノ城もその一つであると推測されているが、古代山城とする確証や具体的な築城時期、運用の記録などは発見されていない謎の山城です。
この日はとても良い天気だったので青空に映える。
山城なので他に写りこむものもなく、現代離れした雰囲気を醸し出しています。
城壁と敷石。
鬼ノ城は城壁が2.8㎞にわたって大体6mの高さのものがぐるりと築かれているそうです。
ほとんどが『版築土塁』と呼ばれるもので、一部の要所は石垣が組まれています。
敷石は写真で見る石畳の様な所をさすのですが、通路の役割兼雨水等が城壁を壊すのを防ぐ役割で作られたと考えられているそうです。
この敷石というもの、日本の古代山城では鬼ノ城にあるのが唯一で、朝鮮半島でも数例が知られているだけのかなり珍しい物なのです。
山の上にあるので、勿論景色は最高でした!!
ここをぐるりと巡ろうと思ったのですが・・・あまりに暑くて持って行っていた飲み物はすぐに尽き、新しく買おうにもお店どころか自販機も見当たらず、脱水症状を起こしそうになったのでこの西門の他に北門跡と倉庫群跡辺りを見て帰りました。
蜂も多くて歩きながらビクビク・・・( ̄Д ̄;;
もう少し涼しい時期に行けば良かったです・・・。
折角総社方面に行ったので吉備路にも行って来ました。
周囲が田んぼの中にあるお寺で、この五重塔はとても目立つので吉備路の写真を見るとシンボル的存在になっています。
国分寺から歩いてこうもり塚古墳にも行ってみました。
恐らくまともに古墳に行ったのは初めてです。
古墳は私が通っていた大学内にあり、たまにその上を歩いていたくらいかな。
最近では古墳女子なるものが流行っていると以前歴史秘話ヒストリアで聞いたのですが、やはりこのミステリアスな存在感と、行った時感じた独特の空気が魅力なのでしょうか?
幕末を追っかけている私とはまた少し違う歴史へのアプローチの仕方、発見の喜びなんてものもあるのだろうなぁ、なんて思いました。
これはこれで楽しい・・・。
毎度お墓は載せない主義と言っている私ですが、ここまでくるとお墓という感覚がつい薄れ(人が眠っているという意味ではお墓と同じような役目ですが・・・)今回は写真を載せてみました。
いつも歴史として追いかけている時代から見てもはるか過去の遺跡に触れ、なんとなく不思議な気分になった一日でした。
さて、明日は幕末に頭を戻して博物館巡りしてきますヾ(@^▽^@)ノ