歴史好き女子の『おでかけ日和』

史跡や歴史的建造物、寺社仏閣をメインに旅している歴史好き系カメラ女子のブログです。はてなブログ2019.10.14~

長州旅⑤

明日から福岡に行くのですが、それまでに書ききれそうにありません・・・長州旅(´・_・`)

書けるところまでは書きたい・・・!!と、言うことで本日何度か更新するやもしれません。




そんなわけでどんどん書いていきます!!



お腹を満たして萩城下へ。




明倫館観徳門




有備館

 


中は道場です。

この道場とても面白くて、剣術をする時って足をどんっと鳴らして前に出たりするじゃないですか。

その響きが良くなるように、床下に壺が沢山敷き詰められているそうです。

あまり出来ないのですが、思わず音を鳴らしながらエア型稽古をしてしまいました( ´艸`)

 


写真の右側が先程の道場、左側は幕府の偉い方が見学に来られた時の為の場所だそうです。

柱を境に道場の方が柔らかい木を床に使用されていたり、板の幅も広くなっているように感じられました。

これも稽古に勤しめる様に施された工夫でしょうか(●´ω`●)




こちらは同じ建物内にある槍用の稽古場。

パレードに使われる奇兵隊の大砲が置かれていました。




これ、厠(トイレ)の壁です。・・・分厚いですよね!?

比較物を置いて撮影すれば良かったのですが・・・私の手(広げて親指の先から小指の先まで約20センチ)よりも分厚かったですΣ(,,oΔo,,*)

厠の外と中に手を当ててみると、見せかけではなく本当にこれだけの幅の壁が存在していました。

ここの厠は見学に来られた偉い人用なので攻撃されないようにらしいです。

それにしても・・・分厚い・・・。




松陰先生が兵学を教えていたのはこの辺りらしいです。





水練池

ここのボランティアの方が『日本最古のプール』と、言っていました。

そういう言い方もあるのかΣ(,,oΔo,,*)

遊泳術や水中騎馬が行われていたそうです。

水練池が設けられたのはここと会津の日新館だけで、現存するのはこの一つだけ。

前原一誠の乱の際、弾薬をここに捨てたことから地元の人は『煙硝池』という方がしっくりくるらしいです。

 


馬はここから入っていたのかな・・・?




その側に並んでいた松にはどれもこんな傷跡が。

これは明倫館に通っていた人たちが刀で斬りつけた・・・わけではなく、戦時中、明かりの為に松脂を取っていた痕らしいです。




聖賢堂

元は観徳門の左右に並んでいたものを一つにくっつけて水練池の近くに移動したらしいです。

今、観徳門や有備館の辺りを復元させようと城下内に移築されている建物や橋などを元に戻す計画が動きつつあるらしいです(*・ω・*)b♪




瓦には長州の家紋が。




明倫館碑




明倫館南門




日中撮り忘れていたのでこれだけ夕方の写真ですが・・・

これだけの史跡がこの明倫小学校の敷地内にあるというのが驚きですよねΣ(,,oΔo,,*)

小学校はこのすぐ側に建て替えられていて今は使われていないそうですが、この二階建ての木造が四棟並んでいました。

多い時で児童数は1300人と言われていたかな?(間違えて覚えていたらすみません…)

この辺りの子達は細かく学区が分かれておらず、みんなこの小学校に通っているらしいです。

 


校舎の中をちらっと。

とっても長い廊下。

雑巾がけ競争どころか50m走も出来てしまいますよ!!




そんなちょっと羨ましい小学校の話でした(違う)