今度の日曜日からまた出かける予定があるのでどんどん書いていこうと思います(A;´・ω・)
さて、東光寺を出て広厳寺・・・には行かず(時間の関係で断念しました・・・)山田顕義誕生地へ。
小ナポレオンの誕生地は顕義園になっているのですが・・・
山田顕義はどこにいるでしょうか???(笑)
こっこでーす!!こっここっこーー!!
ここにいまーすっ!!
(謎解き冒険バラエティのセーラー服の人のノリでお願いします(笑))
この季節だからでしょうか?
緑に緑で生で見てもカモフラージュっぷりがカメレオン並でした(笑)
日本大学の学祖でもあるので、日大の石碑や記念樹が沢山・・・!!
山田さんの像の後ろにある階段を上がって少し行くとあったのが・・・楫取素彦旧宅地碑。
小田村さんとつい呼びたくなる、松陰先生の妹・寿さんと文さんの旦那さんですね。
ここにあった茶室が今回断念した広厳寺に移築されているそうなのですが・・・見たかった(´・_・`)
こんな説明板もありました(*・ω・*)b♪
坂を下りて上がって・・・
高杉晋作草庵跡地顕彰碑。
文久三年三月に十年間の暇を許された高杉さんが京都で剃髪して東行と号し、ここに草庵を結んで妻のマサさんと一緒に過ごしたんですよね。
この後奇兵隊を結成すると・・・。
そして、すぐの場所に吉田松陰をはじめ、松下村塾の面々、杉家の人達のお墓が並んでいました。
こちらもお墓ではなく地図を・・・。
明治維新百周年を記念して建てられたそうで、下田でペリーの艦隊を見ているところだそうです。
この像を挟んでお墓の反対側にあるのが、吉田松陰誕生地。
思ったんですけど・・・本当に高杉さんって松陰先生が大好きですよね( ´艸`)
先生が生まれたすぐ側で過ごすなんて・・・( ´艸`)
松陰先生は既に亡くなっているので複雑な心境や強い思いもあったでしょうが・・・。
吉田松陰誕生地。
一番下の写真でどんな建物だったのか、うかがい知ることが出来ました。
手間の左から玄関、表座敷・・・と並んでいました。
松陰先生が生まれた場所・・・景色がいい!!
結構坂を上がって来ましたから( ´艸`)
なんとなく、こんな視界の開けた場所で生まれたというのが松陰先生らしくていいなぁと思いました。
夏蜜柑が萩で栽培されるようになったのは明治九年で武士救済の為だったらしいです。
静岡のお茶と同じですね(●´ω`●)
因みに萩の夏蜜柑で初めてマーマレードを作ったのは一万円札の福沢諭吉!!
という豆豆知識を書いて終わりにしておきます。
続きはまたヾ(。´・ェ・`。)