前回のブログでのクイズ、簡単でしたね(笑)
答えは適塾でした♪
天保九年(1838年)に緒方洪庵が開いた蘭学塾で大阪大学医学部の前身と言われています。
元は瓦町という場所にあったそうですが、弘化二年(1845年)に今の場所へ移転したそうです。
丁度淀屋橋駅と北浜駅の間くらいかな。近くまで行けば道案内の看板も建っているので分かりやすかったですよ☆
ここを開いた緒方洪庵は備中足守藩出身で今でいう岡山県の生まれ。私と同じなのです(●´ω`●)
適塾の出身者には一万円札にもなっている福沢諭吉や手塚治虫の曽祖父である手塚良仙、蝦夷共和国陸軍奉行・大鳥圭介など錚々たる顔ぶれが並んでいます。
今放送中の大河ドラマ『花燃ゆ』で久坂玄瑞の兄・久坂玄機がここの門下生だったという事は少し触れられていましたね。
建物の前に建つ石碑。
中は説明書きなどの文字資料が写らなければ写真OKとのことでした。
太っ腹(*・ω・*)b♪
大喜びで部屋やお庭を撮ってきました。
書斎
文机には触れないようにと書かれていたので注意しながら座ってみたり火鉢に手をかざしてみたりしていると、気分はすっかり江戸時代(●´ω`●)
この階段、一段が私の膝下くらいまでありましたΣ(,,oΔo,,*) !!
決して私が短足というわけでは・・・アリマセンヨ
逆に足を載せられる部分は小さいし年季の入った音がするし、結構怖い!!
でも二階からの景色はとても良かったです(●´ω`●)
何より日本瓦の屋根がとても立派でした。
それと、ガラスケース内に並べられた資料は時間を忘れさせるくらいに興味深いものだらけでした。
前栽も綺麗に手入れが行き届いていました(●´ω`●)
縁側から部屋の中をちらっ壁|°∀°)
外から見ただけでは分かりませんでしたが、そして考えてみれば当たり前の事なのですが、広い!!
一階には客座敷、家族部屋、応接間、書斎、教室が二部屋、土間、蔵などが並び、二階には女中部屋とヅーフ部屋、そして塾生大部屋。
因みに上の写真は手前が客座敷で奥が応接間ですそして更に奥にちらりと書斎が。
家族部屋や塾生大部屋など人が寝泊まりしていそうな場所は人数によってはぎゅうぎゅうに押し込められて雑魚寝状態だったのかな?と思わせるような感じでしたが、やっぱり広かったです。
今回、同行してくれた友達はここが一番のお気に入りだったそうです(●´ω`●)
他・・・石碑と寺社仏閣しか回ってないもんね…。
ここは私もおススメスポットです。
出入り口の所でロッカーに荷物を預けてゆっくりと見られるし、受付の方がとても朗らかで良い人達でした。
私たち以外に丁度お客さんがいなかったので、うっかり荷物をロッカーに預けたまま出て行ってしまいそうな位ゆっくりお話をさせていただきましたよ!!笑
さてさて、ここから再び新選組縁の地の石碑巡りに戻ります。
つづくヾ(。´・ェ・`。)