長々と続いております大阪旅ですが、まだ続きます!!
もうしばしお付き合いください☆-( ^-゚)v
さてさて、東梅田駅で下車してから大きな道を二本ほど通り抜け、目的地を探して彷徨いました。
もうどこをどう歩いたか分かっていません。
実は地図を読むのが苦手で…しおりを作ってみたものは良いものの、道案内は全て友達にお願いしていました(A;´・ω・)
彼女も初めての場所だったんですけどね。私には不思議なくらいすいすいと進んで行くのです。
とても助かりました。
そのくせ石碑を見つけるのはいつも私というまさに美味しいとこ取りでした。
そんな二人で向かったのは本傳寺。
ここには新選組隊士・谷三十郎、万太郎、昌武(近藤周平)兄弟のお墓があります。
彼らは備中松山藩、現在の岡山県高梁市出身なので、当時は岡山県とは言っていなかったけれど私と同じ出身地です。
そんな同郷の先輩に門前からですが手を合わせてきました。
そこから梅新南の交差点辺りへ移動。
建物に埋め込まれる形で残っていたしじみばし跡を発見しました。
しじみばしと言えば…大阪力士との乱闘ですよね。
北新地の花街があった辺りにも行きたかったのですが、確か石碑の様なはっきりしたものが残っていないはずなので今回は断念しました。
次回、一人で回る機会があれば行ってみようと思います。
川沿いの…この辺りかな?
大阪力士と乱闘したという場所は。
通り道だったので大体の場所を推測しつつ撮影。
鍋島河岸。
八軒家から小舟で夕涼みへと出かけた壬生浪士組の一行は途中で斎藤一が腹痛を訴えたため、この辺りで下船しました。
それがなければ力士と遭遇することも乱闘になる事もなかったかもしれませんね。
このまま橋を渡りました。
立派な石造りの橋で寛いでいた鳩。
近付いても逃げることなくじっとしている。
都会の鳩は人間馴れしているのかな?
大坂市役所や中之島図書館の立派な建物の間を抜けて次に向かったのは…これまた現・岡山県出身の誰かさんと縁の場所。
さて、どこでしょう???
阪大医学部の前身とも言われているところです。
答は次の記事にてヾ(。´・ェ・`。)