前回の続きです。
住吉鳥居前駅から暫く路面電車の旅を楽しみ、阿倍野で市営谷町線に乗り換え。
四天王寺前夕陽ヶ丘駅で下車し、谷町通りを北へと進む進む。
辿り着いたのはこんな場所。
白状すると、少し手前の道を曲がってしまったようです。
予定にはない場所に辿り着いてしまいました。
でも、よく見て下さい。
右の石碑。
思いもよらぬところで幕末に縁のある場所に巡り合いました。
迷子にもなってみるものです(●´ω`●)
墓所跡ではありますが、ここで手を合わせました。
気を取り直して改めて谷町通りを北上し、今度こそ目的地へ。
『天王寺七坂』の一つとして挙げられる口縄坂。
史実ではありませんが司馬遼太郎の作品、『燃えよ剣』で鳥羽・伏見の戦いに敗れ大阪へと下った際、新選組副長・土方歳三がここで恋人のお雪と再会するのです(●´ω`●)
胸キュンです♡
大阪の屯所として使われていた万福寺からも近いので、本当にそんな出来事があったのではないかと思わせられる場所でした。
坂の上から。
坂の下から。
当時は違ったのでしょうが、石畳で情緒漂う場所でした。
坂の下にも石碑が建っていましたよ!!
坂を下り、今度は松屋通りをすたこらと北上すると、沢山立ち並ぶお寺の中に目的のものが。
万福寺です。
新選組が大阪の屯所として使っていた場所。
井上源三郎が長男の松五郎に宛てた手紙に慶応元年五月二十六日(1865年6月19日)、大阪町人の勤皇家である藤井藍田を捕縛してこの寺に連行し、拷問したと書き記しています。
また、慶応元年の将軍・徳川家茂下坂の際、警護の各藩の旅宿に『南下寺町万福寺 壬生組』という記録があったそうです。
昭和四十五年に火災でほぼ焼けてしまいましたが、藤井を閉じ込める牢獄として使用された納屋や、当時の住職が絶筆として描かせた藤井の山水画が残っているらしい…。
門前にはしっかりと石碑も建てられていました。
写真を撮っていると、道行く人に見られたり、「ここなんなん?」って聞かれたり…。
関西だなぁと思いました(●´ω`●)
興味を持って話しかけられるのは結構好きです♪
ここからまだまだ歩きますが、長くなるので次につづく。