沖田総司の辞世の句と言われている『動かねば 闇にへだつや 花と水』。
実は本当に彼が詠んだのか、どうやって伝わったのかも分かっていません。
ですが、花は沖田で水は土方を表現しているという解釈にはとても納得しています。
桜の花の様に短い命の中で精一杯咲いた沖田総司。
彼に関してはたまに捉えどころのない風の様だとも思うし、太陽と水を一身に受けてすくすくと育つ若葉の様だとも思うので私の中で『花』とは断定出来ませんが・・・。
結局、沖田総司という男は私の中では何にも例え難い、捉えどころのない存在なのです。
そして、それが魅力であり、私が好きな所でもあります。
ですが、土方さんが『水』というのはこれ以上ないほどにしっくりきています。
「状況に応じて変幻自在に姿を変える柔軟さ、川の流れの様に自分で進む道を切り開いていく力強さ、優しさと厳しさを併せ持っているところ、意外と繊細な一面を持つところ、そして、水がなければ人は生きられないように、土方がいなければきっと新選組は疾うの昔になくなってしまっていただろう。」
作中で総司が辞世の句を詠んだ際、土方をこのように分析しています。
これは私の印象を総司に言わせたものです。
ところで、この前友人と話した際、その友人は自分の事を「水の様だ」と言っていました。
“理由は流されやすいから”との事でしたが、私の頭にはクエスチョンマークが飛び交いました。
私の中では、先程記述した通り、水には力強いイメージがあるからです。
そして、“流される”存在ではなく、“流す”存在が水だと思っているからです。
物は水に流される。
けれど、水は流されるとは言いませんよね。
水は流れるものです。
決して友人の考えを否定するわけではありません。
ただ、水に弱い印象を持っている人もいるのだと知り、この作品を読んで私が土方歳三という男を弱い人間と認識していると思われては困ると思い、確認のつもりであえて書きました。
小説の方は第三章に突入しているので、第二章に関して書きたい事も多々ありますが、それはまた後日。