最近寒すぎではありませんか?ニュースで尋常ではない積雪を見て驚愕しております…。それに、一日の新型コロナウイルス感染者数もとうとう今日6000人超え…。
明日から1ヶ月、緊急事態宣言を出すとのことですが、まったく、これから一体どうなるのでしょう。
さて、ブログもやっと福井旅3日目に突入です。
改めて一応書いておきますが、写真で分かるとおり、行ったのは最近ではなく11月の終わりです。
3日間お世話になったホテルをチェックアウトして、この日まず向かったのは丸岡城でした。
いやぁ、福井旅では電車にバスによく利用しました。今回は福井市内を中心に移動距離がある場所ばかりを巡ったのですが、福井駅から電車かバスを使えば行ける所ばかりだったので、ホテルはずっと福井駅近くから移動しませんでした。
思いのほかアクセスが良かったので、作戦勝ちです!!
バスを降りて少し歩くともう丸岡城が見えてきました。
丸岡城は柴田勝家の甥っ子の勝豊が天正4年(1576年)に築城し、そのときに天守も造られたそうで、現存最古の天守と言われています。実際は建築方式などからもっと後に造られたものではという説もあるそうで、実際はどうなのか分かりません。
別名:霞ヶ城
名前が神秘的で素敵ですよね。
この辺りのオリジナルマンホール。
毎回オリジナルを見つけるとマンホールを撮ってしまうので、知り合いからは「もしかしてマンホールカード集めてる?」と言われますが、特に今のところ集めてもいないし予定もありません。笑
お城スタンプとお城印
券売所で日本100名城のスタンプをいただきました。
これで福井県の日本100名城スタンプはコンプリートです。
全体でいうとまだまだ道のりは遠いですが、焦らず自分の行きたいときに自分のペースで頑張ります。と、言いつつ今は我慢の時ですね…。
お城印もいただきました。
落ち着いたオシャレなデザイン。とある本でオススメのお城印として取り上げられていたので、とても気になっていました。
実際見ても素敵で、お気に入りの1つです。
こちらは唄が書かれたお城印。
唄が書かれているものって珍しい気がします。
左上にはヒイラギのはんこが押されていました。これは季節ごとだったかな?月ごとだったかな?で変わるそうですよ。素敵ですね。
天守に入る前に、雪対策万全の木を発見!!
雪が基本降らない、降っても積もるのは数年に一度数㎝だけで午前中には全部溶ける地域に住んでいるため、とても珍しいものを見た気がしてしまうのですが、こちらでは冬の当たり前の光景なのですよね。面白い。
いざ、天守の中へ!
こちらが現存最古の天守かもと言われている丸岡城の天守閣ですね。
近くで見ると、石垣も綺麗に切りそろえられた石ではないし、なんか古そうな気がする…と思うド素人。
実は天守は昭和23年(1948年)の地震で倒壊してしまったそうですが、そのご修復再建されて今に至ります。
天守へと続く階段の横にはシャチホコが飾られていました。
そうそう、この後私にちょっとした災難がありまして…この3日間、歩きに歩いて本気で足が限界だったらしく、帰りにこの階段を下りているとき、最後の最後で派手にすっ転びました。笑
カップルにドン引きした目で見られたあの恥ずかしさは忘れない…。
ここにもイケメン武将とダンディー武将がいました。
もうね、本当福井ありがとう!!3日間でとことん歴史充させてもらったうえに行く先々にイケメンばかりで目の保養もたっぷりさせてもらいました。
天守の一番上からの眺め。
周りに高い建物がないので景色がとても良かったです。
ここでは、この後行く予定の場所をあそこか、それともあそこかと必死で探していました。笑
お城には行く機会が多いので慣れているはずの私が(足が棒ということもあり)一瞬登るのを躊躇した階段。
傾斜が急というのはお城の階段あるあるにしても壁が迫りすぎていて狭い!!
荷物多めで大きめリュックを背負っているから入れるか本気で心配しました。それでも入れたので大概の人は大丈夫な気がします。
歩いて歩いて次の目的地へ
丸岡城の近くにとってもとっても行きたかった場所があり、丸岡城の近くにある資料館は断念してここからしばらく歩きました。
ちょっと待って!!溝にあるグレイチングまで丸岡城のデザインで可愛いんだけど!!
と、丸岡城の階段で派手に転んで負傷した後にもかかわらず、最初は意気揚々と元気に出発したものの…
思ったよりめっちゃ遠かった!!!
気がついたら住宅地を抜け、眼前にはこんな景色が広がっていました。
でも、目的地まで行く手段が徒歩以外にないから仕方がない…。
後でその目的地で聞いた話では、丸岡城近くにあるバスターミナルなどにレンタルサイクルを設置する予定で、自転車の準備などは出来ているけれど、コロナの関係で保留になっているそうです…。こんな所にもコロナの影響が…なんてこった…。
ちなみに写真の左右に伸びている人工物はこれまたコロナの影響で遅れ気味の新幹線の線路だそうです。本当にどうにかしてコロナ…。
目的地にやっと到着です。よく歩きました。
私が目指していたのは、明智光秀が寺子屋を開いていたといわれている称念寺さんです。正確にはこのお寺の門前ですね。
大河ドラマの効果か、明智光秀と細川ガラシャの旗も立っていました。
細川ガラシャ役で最近出てきた芦田愛菜ちゃん、すっかりお姉さんになって綺麗な所作で見事に歴史上の美女を演じられていましたね。
どうやら、こちらは裏のようでしたが、入れる場所があったのでお邪魔しました。
松尾芭蕉の句碑がある。本当、この人どこにでも行ってるな。そして結構色々な場所で句碑を見かけるな。
こちらが称念寺さんの本堂です。
お賽銭を入れてお参りしていたら、ご住職がどうぞどうぞと言ってくれて本堂の中へ。
とても気さくな方で、明智光秀目的で丸岡城から歩いて来ましたというと驚きつつ、先ほどのレンタサイクルの話しや、この辺りに伝わっている明智光秀のお話をしてくれました。
それから、11月末はこの辺りでは雪が降っていてもおかしくないから、むしろこんな良い天気というのは珍しいこと、私が岡山から来たと知ると、福山にゆかりがあるそうで、気候も場所的にも近いので福山や岡山の話しで盛り上がりました。
称念寺さんも12月になると雪の関係で毎年閉めてしまうとのこと。「え、じゃあ私もしかしてギリギリで本当にラッキーということですか!?」というと「そうですよ」とにっこり。うわーーー!!何も雪で閉まるかもなんて考えてなかった!!せーーーーーふ!!
本当に素敵な時間をありがとうございました。
お話をしてもらいながら、御朱印をいただきました。
御朱印帳は持っていたので、御朱印だけ…と思ったけれど、御朱印帳があまりに素敵で思わずいただいてしまいました。
黒の落ち着いた色合いの市松模様に明智光秀の家紋の桔梗。
裏表紙はこちらの寺に伝わる黒髪物語のイラスト。
左が光秀で右が照子様ですね。…この前のドラマで照子様亡くなってしまったなぁ…。
黒髪物語は明智光秀はこの辺りで寺子屋を開き、貧しい苦難の生活の中でのお話です。照子様が髪を売って…。あぁ…泣ける…。
御朱印は見開きでいただきました。
右側には御朱印帳と同じ黒髪物語のイラストのスタンプが。嬉しい。
こちらには色々な資料をまとめた冊子があり、いくつか購入させていただきました。
一通りは読みましたが、なにせ戦国時代は初心者という立場にも立てていないような大河ドラマ見てるだけの人なので、ゆっくり勉強しようと思います。
こちらは自由に持ち帰ることの出来るパンフレットです。
これだけでもかなり内容が充実していて読み応えがありました。追加で資料を作る機会があれば、ぜひ協力したい!!と勝手に思うくらい。
ブログの内容や書き方の下手さ的に嘘でしょ?と言われそうですが、一応普段はポスター作ったりパンフレット作ったりというデザインから動画作成などなどの広報を担当しているのでそのスキルを使って協力したい!!というくらい訪れた人への伝えたい気持ちや親切さが伝わってきて素敵だなぁと思いました。
あ、ブログは趣味でゆるーく自分の思ったことを書いたり記録として残しておきたいという思いでほとんど何も考えずにやっているので仕事はもう少しましなことやってます。笑
境内にも明智光秀の旗や…
記念撮影用のパネルがありました!!
思わず入って撮っちゃいますよねー。例え大人の一人旅でも。笑
やっと称念寺さんの門まで辿り着けました。
そして、こちらの観光ボランティアの方がいらっしゃって、一応検温と記帳をしました。コロナ対策…大切。
でも逆から来てしまってもうお参り済んだ後でした。ごめんなさい。
称念寺さん周辺を散策
ここから少し、ボランティアの方が案内してくださいました。
称念寺さん横にある神社さん。
2年ほど前に出来たばかりだそうです。
今は称念寺さんと車が通れるほどの道を挟んでお隣にありますが、以前は称念寺さんの本当にお隣にあって、それを観光用に移したのだとか。
雪国らしく、周りは窓ガラスで覆われて木の部分が守られていました。ボランティアさん曰く、「最初からこうして囲っておけばずっと綺麗でしょ」とのことです。
教えてもらって中をのぞくと、綺麗な絵天井でした。かなり本格的に作られたようです。
ボランティアさんが、この神社までお参りする観光客の人は少ないといって、私の参拝を喜んでくれたので、称念寺に行かれる戦国好きの方、ぜひこちらもお参りしてみてください。
その神社さんからすぐの場所にある舟寄遺跡も案内していただきました。
平成15年から始まった工事の最中に発見された遺跡だそうで、縄文時代や弥生時代の頃のものらしいです。穴が空いているところに柱が立っていて、船での貿易に成功したお金持ちが住んでいたのではないかとボランティアの方が言われていました。
実際、当時の中国のものと思われる陶器なども発見されているのだとか。
この遺跡は発掘が終わると埋められて次の場所を発掘するということを繰り返しているそうで、今はここが発掘中なのだそうです。
面白いものが見られました。
称念寺さんの門前に戻ってきました。
そういえば門前とはいえ明智光秀はどの辺りで寺子屋を開いていたのでしょう?という質問にもボランティアさんは答えてくれました。
はい、この辺りらしいです。寺子屋があったと思われる辺りの場所から称念寺さんの方を見ています。
この場所に行って分かるように言うと、このカメラが向いている反対側に学校があって、その称念寺さんよりの角辺りとのことです。
そのほかにも、ボランティアさんとも話しが盛り上がり、坂本龍馬の家紋にも桔梗が入っていることから明智光秀と関係がある説や大昔の船寄遺跡があるほど貿易が発展していたり、明智光秀のいた当時は称念寺さんも今よりずっと大きく、修行やお参りにくる人も大勢居て門前町も発展しており、人が行き交う場所には情報も多い事から明智光秀は実はここで情報収集を行い間者をしていたのではないか説など、ボランティアさんが考える歴史の裏話を沢山してもらいました。
で、細々と物書きをしていると伝えると「ぜひ小説にしてね」と。もっと勉強して戦国の歴史小説にも挑戦したいと思います!!
ボランティアさんもとても優しくて、交通の便が悪いことから帰りはどうするの?バス停まで車で送ろうか?と言ってくれましたが、史跡巡りは辺鄙な場所に行くことも多く、普通の観光ではなかなか歩きそうもない場所を延々と歩くことも醍醐味だと思っているので、とても有り難く思いつつお断りしてバスターミナルまでひたすら歩きました。
戦国時代でも私の好きな幕末でも大抵当時の人は歩いてどんな距離でも移動していますしね。もしくは馬か船か…。
称念寺さんでは皆さん本当に優しくて期待以上に楽しかったですし、沢山勉強させていただきました。
レンタサイクルが始動したらまた行きたいです。
さて、最終日も大忙しでまたもやバス移動です。
次は福井の有名観光地へと向かいました。
長くなるのでそのお話は次回!!