福井駅前からバスに揺られてとうとう私が行きたくて仕方がなかった場所に到着です。
『麒麟がくる』の舞台にもなっていて、『ブラタモリ』や歴史系のバラエティ番組などでも何度も紹介されていた場所。
そう、一乗谷です。
一乗谷のお城スタンプ&お城印
まずは復元町並へ。
日本100名城のスタンプをゲットです。
スタンプは復元町並の南北にある出入り口でいただけます。私は復元町並のバス停で降り、すぐの南から入って北上するルートにしました。
こちらでお城印もいただけました。お城印は3種類で…。
通常の2種と
令和2年ならでは!!のアマビエ付のお城印でした。
どれも素敵です。
ちなみに、お城印は御朱印帳をお城印専用のものを用意してそれに貼っています。
お城印帳というのもあるらしく、そちらは御朱印帳の様なものにクリアポケットが付いていて、書き置きがほとんどの、というか書き置きしか見たことのないお城印にはピッタリとのことですが、前回載せた北庄城跡のように見開きのものやサイズが大きいものもたまに見かけるので、それらに対応出来る御朱印帳を代用スタイルが今のところいいかな、と思っています。見開きでも切り分けずに対応できますしね。
もし、他の方法で保存されている方、これいいよ!!という方法があればぜひ教えてください。どんどん改善していきたいです。
復元町並を散策
いよいよ楽しみにしていた一乗谷の復元町へ。
ここでまた雨が降ってきて泣きました。日本海側が天気崩れやすいというのはどうやら本当らしい…。
建物の跡だけが残っているエリアと、建物が復元されているエリアがありました。
この辺りが商人の町並みだったかな。
ちなみに、建物のあった位置に間取りなども性格に再現してあるから〝復元〟らしいです。建物の高さだけ現代の人に合わせて高めに建てられたのだとか。
商人の建物の1つで越前和紙が売られていました。
か…かわいい!!うちわも欲しいなーーーとかなり悩んだあげく、寒くて使っているところがイメージできなかったので買いませんでした。でも…ダルマ欲しかったー!!
うちわは買いませんでしたが、書道を少々嗜むので、A4サイズの越前和紙が沢山入ったセットを購入しました。
色々な柄が入っているので、想像力がかきたてられます。
越前和紙を売っているのはなんと!!一乗谷が反映していた頃の方…の格好をしていました。
バッチリマスクはされています。笑
写真はOKいただいて撮影しました。
正直、写真を沢山撮り過ぎてどれを載せるか悩んでブログを書くのに時間がかかったのはここが原因です。笑
そして、悩みすぎてだんだんどれでもいいかーとなったのもここが原因です。笑
雨が降ったり寒かったりで手がかじかんでカメラを構えるの、途中おっくうになっていたはずなのに気がついたら結局沢山撮っていてデータが大変なことになっていました。
ここ、たしかブラタモリでは人形かと思いきや本当に人が居た覚えが!!
私が言ったときは人形になっていました。あの方達はきっと戦国の一乗谷へと戻って行かれたのでしょう。
それにしても、本当に綺麗に建物の土台が残っていてここに何があったのか、ド素人の私でもなんとなく間取りが分かる程でした。
寒かったり暑かったりしなければ、そしてネットがつながれば戦国時代の商人の家みたいな所でも住んでみたい気がする…。はい、この条件を満たす事が出来ないので私には住めないんですけどね。
いくら昔の日本に憧れがあっても現代の住み心地になれすぎて、いくら好きな幕末でも生きて行ける気がしないので、ましてや戦国の世となると絶対無理だぁ。
塀や門も見事に復元されていました。
門の前に『越前朝倉夢舞台』と…?
これが夢舞台らしいです。
この日はただただ舞台が置かれているだけでしたが、もしかしたらここでイベントなどをすることもあるのでしょうか?
武家屋敷の復元。
商人の家と比べると雲泥の差ですね。この屋敷の中に商人の家がいくつ入るんだろう…。
楽しく見て廻っていたらあっという間であれ、もう終わり?と思ったけれど、時間もかなり進んでいて、え、もうこんな時間!?と焦りました。笑
北出入口にいた明智光秀。最近は歴史上の人物がみんなイケメンになってしまいますね。嫌いじゃないです。むしろ目の保養です。笑
歩いて歩いて一乗谷
一乗谷に行きたくて行きたくて仕方がなかった私ですが、戦国時代の遺跡ということで何があるのか正直よく分からない…。ということで、今回は実は前もってとある資料を印刷して、全ては無理だけれどそれを参考に歩きました。
asakura-museum.pref.fukui.lg.jp
一乗谷朝倉氏遺跡資料館のHPで見つけた遺跡散策の地図と説明書きです。
PDFをダウンロードすると地図だけでなく、それぞれの場所の説明も読むことができるので、興味のある方はぜひ。
一乗谷の遺跡の中にもいくつかバス停があり、多くの人は復元町並と朝倉館跡を見てバスで移動して資料館へというルートの様でしたが、私はとことん歩きました。
私が行った場所、見つけられた場所だけでも全部載せているとブログ何回更新しないとダメだろう…というレベルなので、今回は一部載せます。
朝倉館跡・唐門
ここは外せないですよね。
この朝倉義景の館跡は全国で唯一発掘整備された戦国大名の館跡らしいです。政治などの諸事を行っていた場所で、一乗谷の城下町のほぼ中心がここ。敷地面積はなんと約6400㎡もあるそうです。広すぎてイメージが全く沸かない…。
この有名な唐門は朝倉義景の菩提を弔うため、江戸時代に建てられたものなのだとか。
唐門をくぐり、庭園の端方に朝倉義景のお墓がありました。
ここで手を合わせ、上を目指しました。
山裾にあるので、上から朝倉館庭園を一望することができました。
この朝倉館跡の庭園をはじめ、一乗谷の遺跡には15カ所以上の発掘された庭園が見つかっているのだそうです。これほど沢山庭園が確認されているのはこの一乗谷朝倉氏遺跡だけなのだとか。どれだけここが繁栄していて、朝倉氏に力があり、お金があり、優雅な生活を送っていたかが偲ばれますね。
ここで15大将軍の足利義昭を迎えて華やかな宴が催されたそうです。想像力がかき立てられます…。
朝倉館内にある湯殿跡庭園
ここに来たときには止んでいましたが、少し前まで雨が降っていたこともあってか石の間が水たまりのようになっていました。
当時はここが池になっていてきれいな水で溢れていたのかもしれませんね。
さて、更に上を目指します。
湯殿庭園までは結構人も居たのですが、ここまで来ると私の他には誰も居ませんでした。
山なので少し心細くなりつつ、それしきのことで引き返すような私ではないのです。好奇心が勝ってしまいました。
英林塚
朝倉孝景のお墓で、英林は孝景が出家したときの名前らしいです。孝景は初代朝倉氏です。
「世襲ではなく能力と忠節で人材登用する」「質素倹約」「情報収集の必要性」「人材確保」「公平な裁判」と今にも通じる、当時の常識とはかなり違った素晴らしい考えを持っていた武将のようです。
このすぐそばに義景が妻の為に作ったと言われている諏訪館跡庭園がありました。
南陽寺跡
当時ここにあったお寺は朝倉氏によって創建された尼寺だと伝わっているそうです。約5,000㎡あったとされ、「北国でもたぐいまれ」といわれた程の立派なものだったとか。朝倉義景が足利義昭を招待した際、ここで歌会が開催され、足利義昭が「もろ共に 月も忘るな 糸ざくら 年の緒ながき 契と思はば」と詠み、朝倉義景が「君が代の 時にあひあふ 糸桜 いともかしこき けふのことの葉」と返したと伝えられているそうです。
そんな絆を結んだかに思われた2人でしたが、義景が一乗谷から動くことはなく、足利義昭は織田信長を頼って一乗谷を去って行くのですよね…。大河で見たあの様子がここで実際に行われていたということですよね…。
すっかり跡を遺すのみとなってしまったこちらのお寺。
さて、元の大きな道に戻ろうと思ったらこんな細い道しかありませんでした。
当時の繁栄ぶりをうかがうことはできません。
瓜割清水
朝倉氏の御膳水として使われていたようです。干ばつの時でも枯れたことがなく、一乗城山から銅の筒で引いてきているという伝承もあるのだとか。
平面復元地区
さて、復元地区へと戻ってきました。この辺りはどこにどんな形の建物が建っていたか間取りや町の様子が建物に遮られることなく一望することができます。
これは井戸の跡ですね。
それにしても、建物一つ一つにどんな用途で使われていた建物か書かれているのですが、よくこの状態で分かりますね。
これで寺院跡、武家屋敷跡、医師の屋敷跡って…皆さんは分かります?
この辺りから登れば一乗谷城に行けるようだったのですが、さすがに一人で登る勇気と時間がありませんでした。
もう少し温かい時期に来る機会があれば登ってみたいですね。暑すぎても動く気力が失われますが、寒すぎても身体が固まって思うように動けないことに気づかされました。
見つけるとつい撮りたくなってしまうものの1つ、ご当地マンホール!!
一乗谷は朝倉館の唐門でした。マンホールカードも配布されているようですので、お好きな方は是非。
下城戸跡
一乗谷の北端の谷幅が一番狭くなっているところに造られたそうです。
敵の攻撃や侵入を防ぐためのもので、今遺っているのは土塁と石垣の間にある通路跡くらいです。
つまり、朝倉氏が築いた一乗谷の町の本当の出入り口ということですね。南端にも上城戸跡があり、明智光秀の館跡といわれている館跡もあるそうです。そちらも気になって行きたかったのですが、資料館まで行くには逆走になってしまうので諦めました。
実は次に行く場所もあって時間制限が厳しかったので…。
出入り口らしく石碑も建っていました。
踏切を渡り…
バスで来るときに通ったので、ここまで来ると資料館にかなり近づいた気がしました。
でも資料館の前にもいくつか寄り道。
西山光照寺跡
その1つがこちら。
戦国時代に隆盛を極めたという天台宗真盛派の大寺院跡で、朝倉氏の一族争いに敗れた初代朝倉孝景の叔父の鳥羽将景の菩提を弔うために建立されたそうです。
ここでは礎石や発掘された石仏を見ることができました。大きなものは3mあるそうです!!
お顔がなくなってしまっていたり、割れたものを修復されているものが多かったですが、立派なものばかりでした。
一乗谷朝倉氏遺跡資料館『麒麟がくる』衣装も!!
やっとゴール地点の資料館に到着です。
asakura-museum.pref.fukui.lg.jp
いやー、寄り道が多くて長かった。達成感が凄いです。
これだけ歩いたのに寒くて仕方がなかったのは福井の気候故か雨のせいか、ただの私の寒がりか…。兎も角やっと屋内に入れる!!といそいそ入館しました。
入館してすぐ、『麒麟がくる』の特設コーナーがありました。
明智光秀、照子、そして朝倉義景の衣装が!!そして織田信長&豊臣秀吉のパネルも!!
近くで実際に大河ドラマで使われていた衣装を見られるのは嬉しかったです。
ついつい細かい柄や生地も1つ1つじっくり見て廻りました。
実はこんな素敵な展示があるとは知らずに行っていたので思いがけないことで余計に興奮してしまいました。
ドラマ内で使われた書状もありました。
一瞬しか出てこないのにきっちり書かれてる。流石NHKの大河。手が込んでいます。
受信料を払っているのは大河ドラマと歴史秘話ヒストリア、ブラタモリのためと言っても過言ではありません。いやー、いい仕事していますね。
ポスターもこんなに。
今回の大河、かなりお気に入りなのであと数回しか見られないというのが本当に辛い…『新選組!』以来のDVDボックスを買ってしまいそうだ…。『新選組!』はその当時子どもだったのでクリスマス兼誕生日プレゼントで買ってもらった良い思い出。
この大河ドラマの特設コーナーは11月いっぱいまでの展示だったようです。本当にラッキーでした。
館内で写真がOKだったのは『麒麟がくる』の特設コーナーとこちらの再現模型のみでした。
この時は特別展『本能寺の変と朝倉将棋』というものも開催していて、出土した将棋のコマが展示されていたのですが…コマの中に知らないコマがあって…『龍馬』?『酔象』?私が将棋をしないから知らないというわけではない…ですよね?
なかなかに面白かったです。
なんと、資料館から道路を挟んだ向かいに『展示・ガイダンス棟』を現在建設中のようです。まだまだ盛り上がりそうですね!!一乗谷!!ここが出来た頃にまた行きたいと思います。今度は余裕をもって。
と、いうわけで2日目はここで…終わらないのです!!バスに乗り込み次の場所へ。
つづく