歴史好き女子の『おでかけ日和』

史跡や歴史的建造物、寺社仏閣をメインに旅している歴史好き系カメラ女子のブログです。はてなブログ2019.10.14~

仙酔島でぶらり旅

昨日は久しぶりのラジオ出演に緊張しすぎて終わって帰ってから疲れ切って速攻ダウンしていました。

慣れない事はどうしても体力消耗が激しいですね。

 

さて、鞆の浦旅の続きです。今回は仙酔島を『ブラめぐる』!笑

はい、『ブラタモリ』好きです。

仙酔島とは

鞆の浦に浮かぶ周囲約6㎞の島で、およそ6000~8000万年前(中生代後期白亜紀)に起こった大規模な火山活動でできあがったと考えられているそうです。島のほとんどがその活動によってできた流紋岩質凝灰岩や熔岩という、タモリさんが来たら地質についてあつーく語ってくれそうな場所です。

www.sensuijima.jp

タモリさん、確か尾道ブラタモリをやっていましたが、鞆の浦はしていないですよね…?私が見逃しているだけ…?ぜひここでブラタモリやって欲しいです。

 

実際には5分程度の船旅でしたが、ブログではやっと仙酔島に到着です。f:id:kurohirame:20200912223442j:imageちなみに仙酔島と書いて『せんすいじま』と読むらしいです。

 

平成いろは丸とはしばしのお別れ…。
f:id:kurohirame:20200912223504j:image

実は1日40便も運航されているのであまり時間を気にせず気楽に渡って気軽に楽しんで気軽に帰ることができます。

気軽さって大事!!

さぁ、冒険だ!

島に渡ってすぐ、こんな地層がお出迎え。

f:id:kurohirame:20200912223525j:image

もう凄いけどなんなの、と思わず言ってしまうレベルです。

 

岩のトンネルをくぐって…
f:id:kurohirame:20200912223446j:image

 

島にはいくつか宿泊施設やキャンプ場があるらしく、雰囲気が確かにそういう感じ。
f:id:kurohirame:20200912223501j:image

何でしょう…小学生の頃の夏休みを思い出す。ノスタルジー

 

そんなことを思っていたら海に出てきました。
f:id:kurohirame:20200912223454j:image

お盆なんて疾うの昔に過ぎているのにちらほら海水浴客もいました。今年は新型コロナウイルスの影響で閉鎖した海水浴場も多かったみたいですが、ここは一応遊泳区域が設けられていて、監視員はいないようでしたが泳いでもOKだったみたいです。

 

鞆の浦の龍馬さんのキャラクターはこれなのかな?
f:id:kurohirame:20200912223434j:image

對潮楼でも見かけた龍馬さんがここには大きなパネルでいました。

ちなみに私は高知県のキャラクター、坂本龍馬くんのファンです。サービス精神旺盛で一度会うと好きになります。機会があれば是非声をかけてみてください。

 

そして、鞆の浦といえば…な鯛がどーん!!
f:id:kurohirame:20200912223540j:image

鯛飯が食べたくなってきました…。笑

地球が生み出した不思議を見る

前のブログからずっとバテバテな私ですが、本当にこの日は暑くて、日差しダメな私はそれでも意地でマスクに長袖パーカーにフードを被るという格好だったので、もう無理ーもう無理ーと言いながら歩いていました。

そんな理由もあって、島を一周はできていません。もう少し涼しくなったらリベンジしたいとは思っています。

 

そんな感じで途中まで頑張って見に行った場所をご紹介。

色々なルートがあるようですが、私は海沿いの海岸遊歩道を延々歩いてみました。

正直、日を遮るものがないので、炎天下の中を歩き続ける形になります。私のような日差しに弱いタイプの人には真夏にここを歩くことは絶対オススメしません。

でも、すごい地層と出会うのは圧倒的にこの道だと思うので、これからの時期や春など涼しいシーズンにはとってもオススメです。

 

大地の激変
f:id:kurohirame:20200912223534j:image

写真では分かりにくいかもしれませんが、この辺りで約9千万年前に激しい火山活動があり、その後大きく大地が左側に傾き、そして激しい地震が何度も起こったことが分かる場所なんだそうです。

詳しくはここの立て看板に書かれていて、そこにある図と実際を見比べてやっとここかな?と分かりました。タモリさんなら地層を見たらパッと分かりそうなくらい複雑な形をしていますよね。

 

ここもすごい地層が。
f:id:kurohirame:20200912223508j:image

仙酔層というらしく、火山灰混じりの礫岩、砂岩、泥岩と頁岩が重なり合っている厚さ約15mの地層に名付けられているそうです。

…なんて説明を読んで地層を見つつ、その前に立っている沢山の細い岩が気になって仕方がありませんでした。笑

 

海岸遊歩道は日差しの強さは溶けるー!焦げるー!あーここ火傷したー!と騒ぐレベルでしたが、写真を撮るには最高のロケーションでした。
f:id:kurohirame:20200912223439j:image

綺麗に日焼けが出来る肌になりたい…。

インドアも好きですが、アウトドアも大好きな私にとっては結構致命的です…。

 

!?!?これ、どうなってるの!?
f:id:kurohirame:20200912223450j:image

石垣のようなものを築いて支えているようですが、これがなかったらどんな地形だったのでしょう?

かなり細いところまでセメントなどを流し込んで固めるではなく、石をつめて固めている細かさが凄い…。

 

今回、私が目指したゴール地点はこちらでした。
f:id:kurohirame:20200912223529j:image

『五色岩』と言われるここは、青・赤・黄色・白・黒の岩があり、パワースポットにもなっています。

皆さんはそれぞれの色を見つけられましたか?

このような場所は世界で55カ所、日本ではここにしかないらしいですよ。この岩がある場所は天地の『氣』が集まった場所で、太古の昔に地球のマグマが隆起して地上に突出したエネルギーの高い『ハレの地』でもあるらしいです。

ここでパワーをたくさんもらった気がしました。

 

と、いうわけでもう少しだけ先に進んでみました。

丁度いい岩陰を見つけたので入り込んで一休み。
f:id:kurohirame:20200912223512j:image

ちょっとした雨風なら防げてここなら野宿できそう。なんて思う野生児。笑

 

先に進んでみると、丁度引き潮だったのか下加美島との間に道が出来ていました。
f:id:kurohirame:20200912223431j:image

このすぐ先は砂浜で、そこからこの道を渡ることが出来たので行ってみました。

 

下加美島から見た仙酔島
f:id:kurohirame:20200912223520j:image

この島と島との間の道、結構岩肌がゴツゴツしていて、フジツボなども付いていたので転んだら大怪我ものです。

歩く際はくれぐれも気をつけて…。

 

最初に見た海水浴場まで戻ったところで塩ソフトを食べました。
f:id:kurohirame:20200912223516j:image

気温も暑いし着ているものも暑いしでパーカーの中蒸し風呂状態だったので良いクールダウンになりました。

 

まだまだこの島には楽しそうなスポットが沢山あったので、もう少し涼しく歩きやすいシーズンに行ってみようと思います。

 

次回は再び平成いろは丸に乗り、島から戻って鞆の浦散策です。

【文房具】文学に添えられた色と季節の色

鞆の浦旅が脱線しまくっておりますが、やっと届いて嬉しかったので紹介させてください!!

 

最近本気でボトルインクにはまってしまっていて、ネットでついついご当地インクやお店限定インクを見漁っています。笑

その中でもネットで見つけてから一目惚れして、すぐに注文。届く日を楽しみに待っていたインクがあったのです。

 

それがこちら。ペンハウスさんの「コトバノイロ」シリーズです。

www.pen-house.net

特に好きな物語である『銀河鉄道の夜』が欲しくて欲しくて。

f:id:kurohirame:20200912224358j:image

物語が好きでどんな色で表現されているのだろう、本物を見てみたいと思ったのが欲しかった理由ですが、実際使ってみると、色もとても好みで落ち着いた黒に近い、でも青と分かる色で、早速日記や手帳や、いろんな場所に使っていて万年筆で書く機会がぐんと増えそうな予感です。

 

そして、『こころ』
f:id:kurohirame:20200912224354j:image

旅行好きで、よく出かけているアウトドア派と見せかけて結構本を読む文学系だったりします。

 

そして、『蜘蛛の糸』。
f:id:kurohirame:20200912224351j:image

箱の中に、この物語がこの色になった理由が書かれていて、それを読んで更に納得。

どの色も使いやすい落ち着いた色で、にじみにくく書きやすい。

このシリーズの他の色も欲しくなりました。次は『雨ニモマケズ』と『人間失格』、『山月記』、『舞姫』、『金閣寺』、『羅生門』、『雪国』…とにかく読んだことのある文学作品の色が欲しいです。

読んでいない作品は…読んでから欲しいです。笑

結局全部欲しくなっちゃっています。こんなところでコレクター癖を発揮。

 

それから、上のシリーズではありませんが同じくペンハウスさんの『源氏物語』。
f:id:kurohirame:20200912224339j:image

瓶は栄養ドリンクっぽいのに雅。

色も間違いなく雅な色でした。少しくすんだ落ち着いた紫色。

 

ペンハウスさんの別のシリーズ『彩時記』の色も購入。

f:id:kurohirame:20200912224347j:plain

こちらもどの色も素敵でしたが、今回は私が好きな季節の言葉を表現した色をチョイスしました。
f:id:kurohirame:20200912224343j:image

色も大正解でした。

全部ツバメのインクコレクションカードに試し書きしているのでそれをここに載せるのが一番どんな色か分かりやすいと思うのですが…何せ字が下手でここに載せるのは憚られるので、興味のある方は上に載せた公式HPから色々見てみてください。

 

今日は簡単にですが、これにて。

明日は鞆の浦のブログに戻れたら良いなぁ…。

坂本龍馬も訪れた!鞆の浦の『對潮楼』と平成いろは丸

今日から鞆の浦旅ブログ再開です。

と、言っても前回は鞆の浦とうよりも熊野だったので、ここからはやっと鞆の浦ブログといった感じですね。

f:id:kurohirame:20200912222857j:image

 朝鮮通信使と對潮楼

まず向かったのは、あの幕末の風雲児、坂本龍馬にも縁のある場所です。
f:id:kurohirame:20200912222845j:image

石畳がとても素敵な道を行き…。

 

辿り着いたのは對潮楼でした。

f:id:kurohirame:20200912222853j:image

tomotaichorou.jimdofree.com

對潮楼は福禅寺の客殿として元禄七年(1694年)に建立されました。

寛永13年(1636年)の第4回朝鮮通信使は初めて福禅寺(当時は観音寺)に宿泊し、以後上官三使、正使、副使、従事官の常宿となりました。

正徳元年(1711年)に對潮楼に宿泊した一行は対馬から江戸まででここからの景色が最も優れているとして従事官李邦彦(イバンホン)が「日東第一形勝」の書を残しました。この書は2017年10月ユネスコ世界記憶遺産として登録されました。文化9年(1812年)、鞆の商人によって木額に仕立てられここ對潮楼に現在も掲げられています。

 

それが薄暗くなってしまいましたが、この写真の上にある額です。

f:id:kurohirame:20200912222849j:plain

この額下の柱を額縁に見立てて見る海が最高と言われてやってみました。

まるで絵画のようで目を楽しませてくれますね。

 

第10回の通信使は延享5年(1748年)に来日し、鞆の浦に寄港しました。この時福山藩主阿部正福は大坂城代を務めていたため、宇和島藩・豊後日田の代官・越前の代官の三者が幕府から接待役を命じられていました。

ところが、上官三使が福禅寺を常泊していたことを知らなかったのか、阿弥陀寺に宿泊を定めてしまいます。そこで重大な事件が発生!

三使は従者から「ここは福禅寺にあらず」と告げられると「なぜ福禅寺を宿舎にしなかったのか」と日本側に詰め寄ります。そこで「福禅寺は焼失したので阿弥陀寺を宿舎にした」と苦しい言い訳をしたためますます三使を怒らせてしまいます。

ついには「福禅寺は日本第一の勝景なりその佳境を眺望したいという外国からの使節を欺くのか」と激怒し夕食もとらず船に帰ってしまったそうです。

そこで素直に謝って宿舎を福禅寺にすれば良かったのに苦しい嘘なんてつくから…。

嘘をついてはいけないという良い例ですね。

 

復路では福禅寺に入り美しい景観を愛した正使 洪啓禧(ホンケヒ)は客殿を「對潮楼」と命名したそうです。


ちなみに、朝鮮通信使の通信とは「信(よしみ)を通わせあう」という意味らしいですよ!

坂本龍馬と對潮楼

 鞆の浦といえば、いろは丸と坂本龍馬ですよね。(と、言ったらいや、鯛とかポニョじゃない?と友達に冷静に突っ込まれました。笑)

 

いろは丸と紀州明光丸が衝突したのが鞆の津沖、広島県走島より東南・岡山県六島、広島県宇治島沖でした。その事件の鞆での第3回目の談判交渉場所となったのが對潮楼です。f:id:kurohirame:20200912223143j:plain

いろは丸(100t)は大洲藩所有の機帆船で、これを坂本龍馬が15日間の約束で借りて海援隊の初航海として慶応3年(1867年)4月19日長崎を出航。龍馬さんの奥さんであるお龍さんのいる下関に寄港することもなく大坂に向けて順調に航海していました。

ところが、4月23日午後11時頃に備後灘の岡山県六島沖にさしかかったところ、紀州から長崎に向け航行中の徳川御三家紀州藩の明光丸(887t)と衝突。

右舷機関室あたりに衝突されたいろは丸は大破して航行不能となり、明光丸に曳航されて鞆の津に向かいましたが、その途中で翌日4月24日午前4時頃広島県宇治島沖4kmの地点で沈没。乗組員32人は明光丸に乗り移り午前6時ごろ鞆の港に辿り着きました。

 

鞆に着くと直ちに談判が開始されて最終日に談判を行ったのがこの福禅寺の客殿「對潮楼」です。歴史があり、格式が高いため最終局面に用いられたと考えられるそうです。それまでの交渉では龍馬さんは変名「才谷梅太郎」を名乗っていましたが、この對潮楼では海援隊坂本龍馬の名札を渡して交渉に臨んだそうです。

しかし、鞆での談判は決着がつかず明光丸は藩命で急ぐとの理由で4月27日に出航し談判の舞台は長崎に移りました。この事件は日本初の機帆船による海難事故でした。

f:id:kurohirame:20200912223139j:plain

そんな説明コーナーも對潮楼内に展示されていました。

坂本龍馬縁の地はいろいろと訪れていますが、やはり彼もいた場所だと思うと胸がざわざわするといいますか、大好きな幕末という時代の中に自分も入り込んだような感覚がして滾ります。

對潮楼のお楽しみポイント

そうそう、ここの職員さんに教えてもらったのですが、とある柱にはのぞき穴のようなものがありまして。

それをのぞくと対岸の弁天堂がこんな風にアップで見ることができました。
f:id:kurohirame:20200912222902j:image
私は少し下手くそでしたが、スマホのカメラレンズを上手く合わせるとこんな風に写真も撮れます。

これはその職員の方が私がもたもたしていたら撮ってくれました。笑

色合いが少しくすんで古いカメラで撮ったように見えるのも私的にはポイントが高い。

行かれた際はぜひやってみてくださいね!

 

御朱印は書き置きのみの対応でしたが、いただくことができました。

f:id:kurohirame:20200912223018j:image

その場で日付だけ入れてくれるスタイルでした。

平成のいろは丸で航海へ

さて、對潮楼を出てから海の方へ。

お、ちょうど来た来た!
f:id:kurohirame:20200912223003j:image

目的はこの船です。

 

乗り場へ急いでチケットを購入。往復でしか購入出来ず、行きにチケットを購入して指定の場所に入れれば、帰りにチケットを気にせず載ることができるスタイルでした。

こういうの、往復で買って帰りにチケットどこにやったかな?なんてことがあるから、分かりやすくて帰りの心配もなくてとても有り難かったです。

 

乗り場には坂本龍馬の顔出し看板がありました。笑
f:id:kurohirame:20200912223015j:image

鞆の浦坂本龍馬で船といえばもうお分かりですよね。

 

先ほどの對潮楼でも出てきた『いろは丸』です。
f:id:kurohirame:20200912223022j:image

www.hiroshima-kankou.com

幕末に沈んでしまった船が『平成いろは丸』として蘇ったらしい。

この船に乗って向かいの仙酔島まで行くことができます。

大喜びで私も乗船。

 

中には船の舵や
f:id:kurohirame:20200912223007j:image

いろは丸事件の説明
f:id:kurohirame:20200912223011j:image

龍馬さんのお写真がありました。
f:id:kurohirame:20200912223026j:image

幕末好きにはたまらんぜよー!

 

さて、船内を堪能してからデッキに出て海風を楽しみつついよいよ出港です。
f:id:kurohirame:20200912223032j:image

大人1人往復240円でだいたい4分くらいの船旅でした。

船に乗ると、突然大冒険感が出るから、とってもお得で楽しめると思います。

仙酔島での様子はま次回のブログで。