ブログがまだ年を越せていません…。年越しへのカウントダウンはこのブログ記事を含めてあと2つを予定しています。
何度見ても大迫力!!『絶景かな』の南禅寺三門
この日行きたいところは一通り行けたので、ここからは気の赴くままふらふらと歩いていました。
まず向かったのはこちら。南禅寺さんの三門です。
一昨年くらいに一度来ているので、今回は前を通っただけです。完全にお散歩。
詳しくは以前の記事を参照で↓
kurohirame.hatenadiary.com
前回行ったときは天気があまり良くなかったのと、まさかのカメラの電池を忘れて行ってしまったため、スマホのカメラでしか撮れなかったのです…。
せめて三門は綺麗な写真が撮れたら良いなぁという思いもあっての寄り道でした。
やっぱり美しい!!
紅葉の季節には三門からの撮影は禁止になるというくらい、ステキな景色を見せてくれる京都の絶景スポット。
そういえば、前回行った時と同じくらいの時期にもかかわらず、今回の方が緑が多い気がする…。2019年は本当に冬?と思ってしまうくらい暖かい日もありましたよね。
また良い季節に来ようと思いつつここを後にしました。
南禅寺さんから歩いてすぐの蹴上インクラインに行ってみました。
最近ではSNSスポットとして人気ですよね。
今の時期はそんなに映えませんが…桜の時期や緑生い茂る時期はとても綺麗な場所です。
ここは琵琶湖疎水による舟運ルートの一区画として作られた場所で、インクラインは別名傾斜鉄道というそうです。
明治24年(1891年)~昭和23年(1948年)まで実際に使われていました。
琵琶湖疎水は京都~大津間の船の輸送を用途の1つにしていましたが、落差の大きい場所は船が運航できないため、台車に船を乗せてインクラインで運行していました。
これがその写真。
この台車に船を乗せて移動していたのですね。
インクラインの下のトンネルは、重い船が通るため、頑丈さが需要になります。
そのため、レンガを斜めに組み合わせてアーチ状に作られています。
トンネルの中の様子。これを地元では『ねじりまんぽ』と呼んでいます。
強度を重視しているとはいえ、オシャレでハイカラなトンネルですよね。
かわいいお地蔵様1 圓光寺
ふらふら~っと一乗寺にやってきました。
ここまで来たらあのお地蔵様が見たいなぁと圓光寺さんへ。
www.enkouji.jp
圓光寺さんは慶長6年(1601年)に伏見に徳川家康によって建立され、学校としての機能を有していました。
この学校は僧俗問わず入学が許されてた当時ではおそらく珍しい開かれた学校でした。
その後、寛文7年(1667年)に今の場所に移転したそうです。
一乗寺まで来ると観光地ど真ん中と比べて落ち着いた雰囲気があって好きです。
まず見えてくるのは奔龍庭。
渦を巻いた白砂を雲海に見立て、天空を自由に奔る龍を石で表現した平成の枯山水だそうです。
現代チックだなぁと思っていたら、平成に作られたものだったのですね。
同じ平成生まれとして勝手に親近感…。
実はここには紅葉の時期に来てみたいと思いつつ、まだ実現出来ていないのですよね…。
紅葉の時期には特別拝観として早朝から入ることが出来るみたいです。
夜間拝観は色々なところがやっていて、何度か足を運んだこともありますが、早朝って珍しいですよね。
早朝拝観でここに来られたら、その日は早起きは三文の得の言葉通りの日が過ごせそうな気がします。
お庭を歩いていたら、見つけました!可愛いお地蔵様。
頬杖をついたようなポーズでにっこり笑顔なんて…可愛すぎですよね。
この辺りから雨が降り始めたのでちょっと湿っ気のあるお地蔵様です。
裏山にも登りました。
こちらには圓光寺さんを建立した徳川家康の歯を埋葬してあるそうです。とても景色の良い場所で、ここから京都が一望できました。
御朱印は入る際に御朱印帳を預けるスタイルで書いていただきました。
拝観している間に書いていただけるので待ち時間がないし、とても有り難かったです。
かわいいお地蔵様2 詩仙堂
圓光寺さんから歩いてすぐ。詩仙堂さんにも行ってきました。
kyoto-shisendo.net
今、詩仙堂と呼ばれているこの場所は、正しくは『凹凸窠』というそうで、詩仙堂はその一室だとか。
ちなみに『凹凸窠』はでこぼこした土地に建てた住居という意味だそうです。
確かに山の麓のような場所にあるので、門を入ってすぐに石で作られた階段が。
斜面を利用している感じがすでに出ています。
石段を登り、好きな雰囲気の道を歩くとその先にさらに石垣と石段が。本当にでこぼこした場所だー!!
やっと建物に到着です。
詩仙堂は徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘です。詩仙堂の名前の由来は、中国の漢・晋・唐・宋の詩家36人を日本の三十六歌仙にならい各時代から選び、その肖像を狩野探幽に描かせて詩は丈山自らが書き、詩仙の間の四方の壁に掲げた『詩仙の間』を中心としていることからだそうです。
三十六歌仙というと、『歌仙兼定』を思い浮かべてしまう刀好きでもあります…。笑
ちなみに日本の三十六歌仙は藤原公任の『三十六人撰』に載っている平安時代の和歌の名人36人の総称で、36人の家集を集大成した現存する最古の写本は、西本願寺本三十六人家集です。
西本願寺といえば、新選組ゆかりの地としても有名な京都の観光名所ですね。
あそこの大銀杏が大好きです。
…話が逸れました…。
気を取り直して、建物内を見学した後はお庭散策です。建物内は撮影禁止だったので、割愛します。
お庭は建物のある場所から下がっていく形になっていました。
そして、見つけました!有名なかわいいお地蔵様!!
坂にポコポコと数カ所にあるのですね!!
寄り添うように立っている姿がなんとも愛らしかったです。
こちらでも御朱印をいただきました。
書き置きのみのようで、建物に入ったところで拝観料とともにお願いしました。
同郷の二刀流剣豪に会いに
詩仙堂のすぐそばにはもう一カ所行ってきました。
同郷の岡山出身としては見逃せない、宮本武蔵ゆかりのハ大神社さんです。
www.hatidai-jinja.com
八大神社の境内地である一乗寺下り松で慶長九年(1604年)、宮本武蔵が吉岡一門と決闘したと伝えられています。
一乗寺下り松で行われた吉岡家との決闘といえば、巌流島での佐々木小次郎との決闘と合わせて宮本武蔵の二大決闘ですよね。…と勝手に思っています。
初詣の準備がされた拝殿にお参りしてきました。
写真に写っているのは私ではなく先に参拝されていた方です。
2003年に八大神社御鎮座710年、また、武蔵の決闘から400年を迎えるということで建立された宮本武蔵像もありました。
小説『宮本武蔵』の中で決闘時の武蔵の年齢が21歳だったことから、若いイメージの武蔵になったそうです。
武蔵がこの地で決闘をした時代の前から明治時代まで生きた一乗寺下り松の大木の一部が、神社境内にありました。
今はこの大木が立っていた場所にある松の木は4代目らしいです。
それがこちら。
バスを降りて詩仙堂さんやこちらの八大神社さんの方へ登ってくる途中にありました。
八大神社さんに行かれる際はお見逃しなく!!
こちらでも御朱印をいただきました。
私がいただいた御朱印では令和元年のものはここが最後です。
特別御朱印~祭礼~
・当社の歴史祭礼を知っていただく為、見開き二頁に渡り奉筆、押印された特別御朱印。
・御神号「八大天王(はちだいてんのう)」
明治以前に当社は「八大天王社」と称され、現在も剣鉾の神額などには「八大天王」と記されている。
印影は、江戸期の漢詩の大家であり隣接する詩仙堂を造営した「石川丈山」筆の、神社に寄贈された扁額の隷書体(れいしょたい)文字である。
・御神輿(おみこし)
5月5日の大祭に、屈強な神輿舁きによって担がれ氏子地域を巡行する伝統の八角形の御神輿。古く山王日吉大社より、一乗寺の神輿舁きの長年の奉仕に対し譲り受けた御神輿とも伝わる。
・剣鉾(けんぼこ)
祭礼の先導を務め悪霊を鎮める祭具であり、祇園祭の山鉾と同じく祇園御霊会を起源とする。長く重い祭具が高い技術によって差し上げられ進み、剣の部分を大きくしならせ、鈴を美しく鳴り響かせる。八大神社の剣鉾は、五月五日の大祭の際、菊鉾、龍(りょう)鉾、柏鉾の三基が差され、京都市無形民俗文化財にも指定されている。
・御神紋(ごしんもん)
当社をより深く知っていただく為の特別な御朱印である事から、御神紋(左三巴と木瓜)を金色で押印致します。
だそうです。今のところは受付時間中はいつでもいただけるそうですが、状況により中止することもあるかも!?と書かれていたので、興味のある方はお早めに!!
通常の御朱印はこちら。
宮本武蔵が真ん中にどーんと描かれたかっこいい御朱印でした。
最後は期間限定の御朱印。
彩り御朱印 冬
・藤色の和紙に、お正月のお飾りと節分大祓神事のお焼き上げが金色で描かれた紙の御朱印。
・歳旦祭(お正月)
元旦、御本殿に於いて氏子の各団体の新年祈願祭が厳粛に斎行され、境内も初詣の人々で大変な賑わいをみせる。
新年に向け、一乗寺の稲作農家から奉納された藁を用いて、注連縄や正月飾りが宮座を中心とした氏子によって造られる。
御本殿と皇大神宮社の門松にはお飾りが取り付けられ、みかんは左右に二つずつ、真ん中に六つ「ニコニコ、仲むつまじく」の語呂合わせ、伊勢海老には「腰が曲がるまで長生きできるように」、炭には「家のスミズミまで綺麗に」などの意味が込められている。
・節分大祓神事
2月3日、日々の生活の中で「枯れてきた気」=「けがれ」を元に戻し、知らぬ間に「犯してしまった過ち」=「罪」を祓い、清浄な身体に充実した気を満ち溢れさせ、清々しく過ごす為、執り行う神事。
御本殿での祭典の後、奉納された人形(ひとがた)と古い御神札・御守・絵馬などが、四方を忌竹と注連縄に囲まれた斎場に於いて焼き上げられ、節分の夜の境内に大きな火柱が上がる。
八大神社の大祓神事は年二回、2月3日(節分)、8月7日(立秋前日頃)に行われる。
こちらは令和元年12月~令和2年2月末までいただけるそうですが、なくなり次第終了だそうです。
御朱印帳も宮本武蔵でとても格好良いデザインだったのですが、今はまだ使用中の御朱印帳がいくつかあったので、今度行く機会があれば、そちらも是非いただけたらなぁと思います。
さて、やっと次回年越しのお話が書けそうです。