歴史好き女子の『おでかけ日和』

史跡や歴史的建造物、寺社仏閣をメインに旅している歴史好き系カメラ女子のブログです。はてなブログ2019.10.14~

令和元年最後の新選組巡りと除夜の鐘

令和2年になって一週間。早速風邪を引きました…。

寒い日が続いておりますし、インフルエンザも猛威を振るっていると聞くので皆様もお気をつけて!!

さて、前回の続きです。

やっとブログで年が越せそうです。

 令和元年最後の新選組巡りへ

 紅白歌合戦で去年のレコード大賞『パプリカ』が歌われているころ、私は最後のあれをすべく歩き始めていました。

そう、見出しにもなっている新選組巡りです。

と、言っても洛中の屯所になった場所を歩いただけなんですけどね。

 

そういえば一度も登ったことのない京都タワーを見ながら京都駅からスタートです。

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なんというか、登るタイミングが分からない…。と、いうのと元京都府民だから…?関係ないか…。笑

 

まず向かったのはこちら。
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新選組が洛中で最後の屯所とした場所は今は影も形もないので、こういった形で当時を偲んでいるのですよね。

正確な場所は分からないけれど、2つの石碑のちょうど真ん中辺りだからこの辺りにあったのかな?なんて。

新選組は慶応3年(1867年)に屯所を葛野郡不動堂村に新築して、それまで屯所としていた西本願寺集会所から居を移しました。当時は立派な武家屋敷のようなものが建っていたとかいなかったとか…という話はあるものの、正確な位置は明らかになっていません。

 

この提灯見るたびに欲しいなぁ…と思ってしまうんですよね。

と、言いつつ私の部屋は和風ではないので、部屋にあると絶対に浮く…。笑
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年が明けて慶応4年1月3日には戊辰戦争最初の戦いである、鳥羽・伏見の戦いが始まっているので、この屯所で暮らしたのは本当に短い間でした。

そりゃ幻にもなるわけだ…。

ここでは第4日曜日のみ御朱印をいただけますので、機会があれば是非。

 

同じく新選組最後の洛中屋敷を偲ぶ石碑。
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こちらはハトヤ瑞鳳閣さんにあるもの。

何年か前に改装工事を行っていて、その際に石碑が見えなくなったことがあり、これを機に石碑がなくなるなんてこと…ないよね…?なんてやきもきした時もありましたが、今でも有り難いことに見ることができます。

 

こちらはリーガロイヤルホテルさんにあるもの。
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以前、私がまだ京都在住だった頃に友達が遊びに来て、一緒にこちらに泊まったことがあります。サプライズでバースデーケーキを用意してくれてお祝いしてもらったのは良い思い出です…。

 

2番目の屯所、西本願寺さんの太鼓楼。
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新選組が屯所としていた西本願寺さんの北集会所は今では姫路にある亀山本徳寺さんの本堂として訪れることができます。

新選組がつけたという刀傷があったり、ここで新選組の隊士さんたちが寝泊まりしたのか~と妄想が膨らむので大好きな場所です。

k-hontokuji.com

姫路城に行かれた際には是非足を伸ばして欲しい場所です。

もちろん西本願寺さんもステキな場所で、私は秋のイチョウが綺麗に色付いた頃が一番好きです。

 

と、ここまで歩いて一番有名なあの場所へ行くにはまだ時間が早かったので、友達の家で紅白を見て過ごしました。笑

菅田将暉くんを見てからこの日のメインイベントへと出かけました。

新選組といえばここ!!壬生寺さんでハッピーニューイヤー!!

 ちゃんと忘れていませんよ、壬生寺さん!!この日は壬生寺さんに始まり、壬生寺さんに終わりました。
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私たちが着いたのは11時半頃。まだ人もまばらだったため、余裕をぶっこいて暢気に本堂にお参りしていたら…

 

あっという間に大行列になっていました!!!
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慌てて列に加わりました。

除夜の鐘を鳴らすことも目的ですが、約300杯限定の甘酒を是非飲みたかったので友達と足りるかな?と除夜の鐘が鳴り始めるまで必死で前に並んでいる人の数を数えていました。煩悩だらけです。笑

 

無事除夜の鐘もつけて甘酒もいただけました。

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こんな風に長い紐を大勢で持ってつくので、私が鳴らすまでに10回も鳴ったかな?くらいでした。

ちなみに写真は私が鐘をついている所を友達が動画で撮ってくれていてそこからスクショしたので粗めです。

ついた人から順にいただける甘酒も無事ゲットできました!!あれ、煩悩が落とせていない…。今年も煩悩だらけで生きていくことになりそうです。

 

そんなことをしていたら、至る所から「あけましておめでとう」の声が。
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ちょうど本堂横でおみくじを引いていたので年越しの壬生寺の様子を。

大好きな人たち縁の大好きな場所で、大好きな友達と年越しが出来てとても幸せなスタートをきることができました。

 

一通りお参りをし、私たちが壬生寺をあとにした時にも除夜の鐘の列に並ぶ人は増え続けていて、鐘も鳴り続けていました。
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こんなに壬生寺が人でごった返しているのを見るのは節分以来かな。

 

年始限定のステキな御朱印もいただきました。
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令和2年、私が最初にいただいた御朱印壬生寺さんでした。

これはいい年になるに違いない!!

一旦家に帰って寝てから元日は何カ所か初詣と特別御朱印をいただきにまわったので、次回はそのお話を書こうと思います。

京都散歩。かわいいお地蔵様と二刀流剣豪に会いに行く

ブログがまだ年を越せていません…。年越しへのカウントダウンはこのブログ記事を含めてあと2つを予定しています。

 何度見ても大迫力!!『絶景かな』の南禅寺三門

 この日行きたいところは一通り行けたので、ここからは気の赴くままふらふらと歩いていました。

まず向かったのはこちら。南禅寺さんの三門です。

一昨年くらいに一度来ているので、今回は前を通っただけです。完全にお散歩。

詳しくは以前の記事を参照で↓

kurohirame.hatenadiary.com

前回行ったときは天気があまり良くなかったのと、まさかのカメラの電池を忘れて行ってしまったため、スマホのカメラでしか撮れなかったのです…。

せめて三門は綺麗な写真が撮れたら良いなぁという思いもあっての寄り道でした。
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やっぱり美しい!!

紅葉の季節には三門からの撮影は禁止になるというくらい、ステキな景色を見せてくれる京都の絶景スポット。

そういえば、前回行った時と同じくらいの時期にもかかわらず、今回の方が緑が多い気がする…。2019年は本当に冬?と思ってしまうくらい暖かい日もありましたよね。

また良い季節に来ようと思いつつここを後にしました。

SNSで人気に!?蹴上インクライン

南禅寺さんから歩いてすぐの蹴上インクラインに行ってみました。

最近ではSNSスポットとして人気ですよね。

今の時期はそんなに映えませんが…桜の時期や緑生い茂る時期はとても綺麗な場所です。
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ここは琵琶湖疎水による舟運ルートの一区画として作られた場所で、インクラインは別名傾斜鉄道というそうです。

明治24年(1891年)~昭和23年(1948年)まで実際に使われていました。

琵琶湖疎水は京都~大津間の船の輸送を用途の1つにしていましたが、落差の大きい場所は船が運航できないため、台車に船を乗せてインクラインで運行していました。
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これがその写真。

この台車に船を乗せて移動していたのですね。

 

インクラインの下のトンネルは、重い船が通るため、頑丈さが需要になります。

そのため、レンガを斜めに組み合わせてアーチ状に作られています。
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トンネルの中の様子。これを地元では『ねじりまんぽ』と呼んでいます。

強度を重視しているとはいえ、オシャレでハイカラなトンネルですよね。

 かわいいお地蔵様1 圓光寺

 ふらふら~っと一乗寺にやってきました。

ここまで来たらあのお地蔵様が見たいなぁと圓光寺さんへ。

www.enkouji.jp

圓光寺さんは慶長6年(1601年)に伏見に徳川家康によって建立され、学校としての機能を有していました。

この学校は僧俗問わず入学が許されてた当時ではおそらく珍しい開かれた学校でした。

その後、寛文7年(1667年)に今の場所に移転したそうです。
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一乗寺まで来ると観光地ど真ん中と比べて落ち着いた雰囲気があって好きです。

 

まず見えてくるのは奔龍庭。
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渦を巻いた白砂を雲海に見立て、天空を自由に奔る龍を石で表現した平成の枯山水だそうです。

現代チックだなぁと思っていたら、平成に作られたものだったのですね。

同じ平成生まれとして勝手に親近感…。

 

実はここには紅葉の時期に来てみたいと思いつつ、まだ実現出来ていないのですよね…。
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紅葉の時期には特別拝観として早朝から入ることが出来るみたいです。

夜間拝観は色々なところがやっていて、何度か足を運んだこともありますが、早朝って珍しいですよね。

早朝拝観でここに来られたら、その日は早起きは三文の得の言葉通りの日が過ごせそうな気がします。

 

お庭を歩いていたら、見つけました!可愛いお地蔵様。
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頬杖をついたようなポーズでにっこり笑顔なんて…可愛すぎですよね。

この辺りから雨が降り始めたのでちょっと湿っ気のあるお地蔵様です。

 

裏山にも登りました。
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こちらには圓光寺さんを建立した徳川家康の歯を埋葬してあるそうです。とても景色の良い場所で、ここから京都が一望できました。

 

御朱印は入る際に御朱印帳を預けるスタイルで書いていただきました。
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拝観している間に書いていただけるので待ち時間がないし、とても有り難かったです。

かわいいお地蔵様2 詩仙堂

 圓光寺さんから歩いてすぐ。詩仙堂さんにも行ってきました。

kyoto-shisendo.net

今、詩仙堂と呼ばれているこの場所は、正しくは『凹凸窠』というそうで、詩仙堂はその一室だとか。

ちなみに『凹凸窠』はでこぼこした土地に建てた住居という意味だそうです。
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確かに山の麓のような場所にあるので、門を入ってすぐに石で作られた階段が。

斜面を利用している感じがすでに出ています。

 

石段を登り、好きな雰囲気の道を歩くとその先にさらに石垣と石段が。本当にでこぼこした場所だー!!
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やっと建物に到着です。
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詩仙堂は徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘です。詩仙堂の名前の由来は、中国の漢・晋・唐・宋の詩家36人を日本の三十六歌仙にならい各時代から選び、その肖像を狩野探幽に描かせて詩は丈山自らが書き、詩仙の間の四方の壁に掲げた『詩仙の間』を中心としていることからだそうです。

三十六歌仙というと、『歌仙兼定』を思い浮かべてしまう刀好きでもあります…。笑

 

ちなみに日本の三十六歌仙藤原公任の『三十六人撰』に載っている平安時代の和歌の名人36人の総称で、36人の家集を集大成した現存する最古の写本は、西本願寺本三十六人家集です。

西本願寺といえば、新選組ゆかりの地としても有名な京都の観光名所ですね。

あそこの大銀杏が大好きです。

 

…話が逸れました…。

 

気を取り直して、建物内を見学した後はお庭散策です。建物内は撮影禁止だったので、割愛します。

お庭は建物のある場所から下がっていく形になっていました。

そして、見つけました!有名なかわいいお地蔵様!!
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坂にポコポコと数カ所にあるのですね!!

寄り添うように立っている姿がなんとも愛らしかったです。

 

こちらでも御朱印をいただきました。
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書き置きのみのようで、建物に入ったところで拝観料とともにお願いしました。

同郷の二刀流剣豪に会いに

詩仙堂のすぐそばにはもう一カ所行ってきました。

同郷の岡山出身としては見逃せない、宮本武蔵ゆかりのハ大神社さんです。

www.hatidai-jinja.com

八大神社の境内地である一乗寺下り松で慶長九年(1604年)、宮本武蔵が吉岡一門と決闘したと伝えられています。
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一乗寺下り松で行われた吉岡家との決闘といえば、巌流島での佐々木小次郎との決闘と合わせて宮本武蔵の二大決闘ですよね。…と勝手に思っています。

 

初詣の準備がされた拝殿にお参りしてきました。
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写真に写っているのは私ではなく先に参拝されていた方です。

 

2003年に八大神社御鎮座710年、また、武蔵の決闘から400年を迎えるということで建立された宮本武蔵像もありました。
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小説『宮本武蔵』の中で決闘時の武蔵の年齢が21歳だったことから、若いイメージの武蔵になったそうです。

 

武蔵がこの地で決闘をした時代の前から明治時代まで生きた一乗寺下り松の大木の一部が、神社境内にありました。
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今はこの大木が立っていた場所にある松の木は4代目らしいです。

 

それがこちら。

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バスを降りて詩仙堂さんやこちらの八大神社さんの方へ登ってくる途中にありました。

八大神社さんに行かれる際はお見逃しなく!!

 

こちらでも御朱印をいただきました。

私がいただいた御朱印では令和元年のものはここが最後です。
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特別御朱印~祭礼~
・当社の歴史祭礼を知っていただく為、見開き二頁に渡り奉筆、押印された特別御朱印
・御神号「八大天王(はちだいてんのう)」
明治以前に当社は「八大天王社」と称され、現在も剣鉾の神額などには「八大天王」と記されている。
印影は、江戸期の漢詩の大家であり隣接する詩仙堂を造営した「石川丈山」筆の、神社に寄贈された扁額の隷書体(れいしょたい)文字である。
・御神輿(おみこし)
5月5日の大祭に、屈強な神輿舁きによって担がれ氏子地域を巡行する伝統の八角形の御神輿。古く山王日吉大社より、一乗寺の神輿舁きの長年の奉仕に対し譲り受けた御神輿とも伝わる。
・剣鉾(けんぼこ)
祭礼の先導を務め悪霊を鎮める祭具であり、祇園祭の山鉾と同じく祇園御霊会を起源とする。長く重い祭具が高い技術によって差し上げられ進み、剣の部分を大きくしならせ、鈴を美しく鳴り響かせる。八大神社の剣鉾は、五月五日の大祭の際、菊鉾、龍(りょう)鉾、柏鉾の三基が差され、京都市無形民俗文化財にも指定されている。
・御神紋(ごしんもん)
当社をより深く知っていただく為の特別な御朱印である事から、御神紋(左三巴と木瓜)を金色で押印致します。

だそうです。今のところは受付時間中はいつでもいただけるそうですが、状況により中止することもあるかも!?と書かれていたので、興味のある方はお早めに!!

 

通常の御朱印はこちら。
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宮本武蔵が真ん中にどーんと描かれたかっこいい御朱印でした。

 

最後は期間限定の御朱印
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彩り御朱印
・藤色の和紙に、お正月のお飾りと節分大祓神事のお焼き上げが金色で描かれた紙の御朱印
歳旦祭(お正月)
元旦、御本殿に於いて氏子の各団体の新年祈願祭が厳粛に斎行され、境内も初詣の人々で大変な賑わいをみせる。
新年に向け、一乗寺の稲作農家から奉納された藁を用いて、注連縄や正月飾りが宮座を中心とした氏子によって造られる。
御本殿と皇大神宮社の門松にはお飾りが取り付けられ、みかんは左右に二つずつ、真ん中に六つ「ニコニコ、仲むつまじく」の語呂合わせ、伊勢海老には「腰が曲がるまで長生きできるように」、炭には「家のスミズミまで綺麗に」などの意味が込められている。
・節分大祓神事
2月3日、日々の生活の中で「枯れてきた気」=「けがれ」を元に戻し、知らぬ間に「犯してしまった過ち」=「罪」を祓い、清浄な身体に充実した気を満ち溢れさせ、清々しく過ごす為、執り行う神事。
御本殿での祭典の後、奉納された人形(ひとがた)と古い御神札・御守・絵馬などが、四方を忌竹と注連縄に囲まれた斎場に於いて焼き上げられ、節分の夜の境内に大きな火柱が上がる。
八大神社の大祓神事は年二回、2月3日(節分)、8月7日(立秋前日頃)に行われる。

こちらは令和元年12月~令和2年2月末までいただけるそうですが、なくなり次第終了だそうです。

御朱印帳も宮本武蔵でとても格好良いデザインだったのですが、今はまだ使用中の御朱印帳がいくつかあったので、今度行く機会があれば、そちらも是非いただけたらなぁと思います。

 

さて、やっと次回年越しのお話が書けそうです。

大晦日だ!誕生日だ!そうだ、京都行こう

遅ればせながらあけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、去年から今年にかけて京都で過ごしておりました。

誕生日はどこか別の場所で過ごしたいなぁ…でも、全く計画立ててなかったしなぁ…という数日前の思いつきでも行けるのが私にとっては京都なのです。

第二の故郷だから土地勘もありますし、友達に聞いてみたら泊まりにおいで~と二つ返事で言ってくれたので有り難くお邪魔しました。

 大晦日は誕生日!新選組縁の地へご挨拶

 最近のブログでは気づかれないかもしれませんが、実はかなりの新選組好きでして…。

1つ年を重ねましたとまずご挨拶に向かったのは壬生寺さんでした。

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この夜行われる除夜の鐘の準備がされていました。

夜もここで年を越す予定だったのでそれを見てワクワク。

 

午前中は天気も良かったのでなんとも平和な写真が撮れました。
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とりあえずご挨拶に訪れ、壬生塚にも入ってから自分用に新選組グッズを色々と購入。

以前にも買ったことのある前田珈琲さんとのコラボのドリップコーヒーが美味しかったのでまた買ってしまいました。

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それからティーバッグのセットと最近出たICカード用シール。

実はすでにICOCAには沖田総司シールを貼っているので、Suicaに水色の誠シール、PASMOに赤色の誠シールを貼ろうと思っています。

これできっとなくさないはず!!笑

 

近くのお店では毎年恒例のお餅が干されていました。
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これを見ると年末だなぁと思えます。笑

京の西を守る『松尾大社

壬生寺を後にして、お次は四神の一柱、白虎が祀られている松尾大社へやってきました。
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こちらも初詣の準備がされていました。

実は来てみたいと思いつつ初めての参拝でした。だからこそ避けたかった元日…。

晦日は神社の方は忙しく準備をされているご様子でしたが、参拝客は少なめだったのでゆっくりと見て回ることができました。

 

写真だけ見ると、初詣に訪れたように見えますね。笑
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屋台も準備されていたものの、お店の方はいなくてシートで覆われていました。

いちご大福食べたかったなぁ…。

 

大きなねずみの干支の絵馬も一足早く見れました。
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晦日にまわるの…いいかもしれない!!

謎のお得感。

 

松尾大社御朱印もいただきました。

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毎年誕生日の前後で何か新しく始めてみると決めている私ですが、とある年のそれが御朱印集めでこの日ちょうど10周年でもありました。

そんなに熱心に集めている方ではありませんが、こうして寺社仏閣を訪れるといただくようにしています。

 髑髏の御朱印が有名!伊藤若冲ゆかりの寺

  再びバスに飛び乗りやってきたのは伊藤若冲ゆかりの宝蔵寺さんです。f:id:kurohirame:20200103104741j:image

弘法大師空海の創立と伝えられる。その後、文永6年(1269)如輪上人により元西壬生郷に開基される。 弘安2年(1279)に如輪上人が遷化、天正9年(1581)玉阿律師が中興再興された。 玉阿律師は天正18年(1590)に遷化、天正19年(1591)に現在地に移転した。 本尊阿弥陀如来像は、元禄13年(1700)と刻まれている。

また、元治元年(1864年)に起きて新選組も出動した禁門の変(所謂『蛤御門の変』)で全焼してしまったそうで、昭和7年(1932年)に現在の本堂が完成しました。

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裏寺町に位置しているからか、街中にもかかわらず少し喧噪から離れたような場所でした。

 

宝蔵寺さんといえば伊藤若冲ですよね。

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本堂の目の前に伊藤若冲とその親族のお墓がありました。

 

それと、私の大好きな新選組ともゆかりのあるお寺さんでもあります。

新選組局長・近藤勇(こんどういさみ)の遺体は、東本願寺法主が受け取り埋葬したとされるが、一説に同志により奪還され、愛知県岡崎市の法蔵寺(浄土宗西山深草派檀林)に葬られたともいわれ、同寺に近藤勇首塚がある。 その謂われは、三条大橋に晒されていた首を同志が三晩目に持ち帰り、かつて勇が信頼、敬慕していた宝蔵寺第13世称空義天旭専和尚を訪ねて首の埋葬を依頼したが、和尚は半年前に京都より法蔵寺第三十九世貫首として転任されていた。 法蔵寺が徳川家康ゆかりの寺ということもあり、ここに埋葬されたという。

この愛知県の法蔵寺さん、まだ行けていなくて今年は行けると良いなぁと思っております。

 

こちらの御朱印もいただきました。

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有名な髑髏の御朱印!!

今回は赤色をいただきました。

 

それとこちらの特別御朱印をいただきました。

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373年振りに修理された、木造 弘法大師坐像を12月31日〜1月5日までの6日間、本堂にて特別公開いたします(10時〜16時)。
合わせて弘法大師様の見開き御朱印(紙朱印 書置きのみ)を授与します。500円。
※今後は毎月21日、弘法大師様の御縁日に直書きをします。
光明真言印と、弘法大師様の御影印は、江戸時代から宝蔵寺に伝わる版木より作成した由緒あるものです。
左側は梵字名号(南無阿弥陀仏)です。

とのことで、明日、明後日までは書き置きでいただけ、以降は毎月21日限定でいただけるみたいです。

ご興味のある方は是非!!